第3の哨戒 1943年2月 - 4月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1943年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説

2月28日ホエール3回目の哨戒マリアナ諸島方面向かった3月10日にはサイパン島タナパグ湾(英語版)の沖に張り付き出入りする日本の艦船警戒した3月19日の夜、ホエール護衛艦1隻を伴った最上川丸級」と「ありぞな丸級」の2隻の大型輸送船発見ホエール3月20日朝に至り北緯1603東経14308分 / 北緯16.050度 東経143.133度 / 16.050; 143.133の地点魚雷3本ずつ計6本発射魚雷それぞれの目標に2本ずつ命中したもの判断されたが、浮上した途端反撃を受け、ダメージ負ったので退避せざるを得なかった。それでもホエールタナパグ港の沖に依然として張り付いていた。3月22日ホエールは2隻の輸送船発見したものの逸してしまった。しかし、翌3月23日未明になって北緯1716東経14456分 / 北緯17.267度 東経144.933度 / 17.267; 144.933の地点でこれとは別の2隻の輸送船発見し魚雷3本発射魚雷手前にいた特設運送船乾陽丸(乾汽船、6,486トン)に2本命中し乾陽丸は4分で沈んでいった。乾陽丸が沈む前、ホエール止め艦尾発射管から魚雷を1本発射し不安定な動き見せた命中したようには見えた護衛艦ホエールめがけて突進してきたので、ホエールはこれを避けて潜航避退ていった3月25日にも北緯1743東経15003分 / 北緯17.717度 東経150.050度 / 17.717; 150.050の地点小型輸送船発見し魚雷三度にわたり計7本発射したが、全ての魚雷不安定な動きをしてこれまた命中せず乗組員失望させる一方であった。3月28日にも北緯12度54東経15105分 / 北緯12.900度 東経151.083度 / 12.900; 151.083の地点別の小型輸送船発見し最後に残っていた魚雷3本発射する今回魚雷まともに走らず、こうしてホエール魚雷使い尽くしてしまった。燃料の関係もあり、ホエール3月31日をもって哨戒切り上げ4月6日ミッドウェー島寄港した4月11日ホエール42日間行動終えて真珠湾帰投修理訓練従事した

※この「第3の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
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