第3の哨戒 1943年2月 - 4月
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「ホエール (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説
2月28日、ホエールは3回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。3月10日にはサイパン島タナパグ湾(英語版)の沖に張り付き、出入りする日本の艦船を警戒した。3月19日の夜、ホエールは護衛艦1隻を伴った「最上川丸級」と「ありぞな丸級」の2隻の大型輸送船を発見。ホエールは3月20日朝に至り、北緯16度03分 東経143度08分 / 北緯16.050度 東経143.133度 / 16.050; 143.133の地点で魚雷を3本ずつ計6本発射。魚雷はそれぞれの目標に2本ずつ命中したもの判断されたが、浮上した途端反撃を受け、ダメージを負ったので退避せざるを得なかった。それでもホエールはタナパグ港の沖に依然として張り付いていた。3月22日、ホエールは2隻の輸送船を発見したものの逸してしまった。しかし、翌3月23日未明になって、北緯17度16分 東経144度56分 / 北緯17.267度 東経144.933度 / 17.267; 144.933の地点でこれとは別の2隻の輸送船を発見し魚雷を3本発射。魚雷は手前にいた特設運送船乾陽丸(乾汽船、6,486トン)に2本命中し、乾陽丸は4分で沈んでいった。乾陽丸が沈む前、ホエールは止めで艦尾発射管から魚雷を1本発射し、不安定な動きを見せたが命中したようには見えた。護衛艦がホエールめがけて突進してきたので、ホエールはこれを避けて潜航避退していった。3月25日にも北緯17度43分 東経150度03分 / 北緯17.717度 東経150.050度 / 17.717; 150.050の地点で小型輸送船を発見し、魚雷を三度にわたり計7本発射したが、全ての魚雷が不安定な動きをしてこれまた命中せず、乗組員を失望させる一方であった。3月28日にも北緯12度54分 東経151度05分 / 北緯12.900度 東経151.083度 / 12.900; 151.083の地点で別の小型輸送船を発見し、最後に残っていた魚雷を3本発射するも今回も魚雷はまともに走らず、こうしてホエールは魚雷を使い尽くしてしまった。燃料の関係もあり、ホエールは3月31日をもって哨戒を切り上げ、4月6日にミッドウェー島に寄港した。4月11日、ホエールは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投。修理と訓練に従事した。
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