第3の哨戒 1944年10月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1944年10月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:13 UTC 版)

シーライオン (SS-315)」の記事における「第3の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説

10月31日シーライオン3回目の哨戒ケート (USS Kete, SS-369) とともに東シナ海向かった11月4日ミッドウェー島到着し一息ついてから出航10日後、シーライオントカラ列島を西に抜け哨戒海域入った11月16日シーライオン訓練中に艦尾の8番発射管閉じた状態で誤って魚雷発射してしまった。修理しようにも激浪により徹底的な調査ができず、結果的に8番発射管使用不可となってしまった。11月17日には上海沖に到達したが、翌18日5番発射管装てんしている電池魚雷電池軽く爆発起こしてしまった。シーライオン台湾海峡方面移動することとなった11月21日0時20分、シーライオンレーダーにより16ノット速力ジグザグ航行をする複数目標探知した0時48分までには、相手少なくとも2隻の戦艦と2隻の巡洋艦であることを確認。1時46分、シーライオン視界内に戦艦巡洋艦のほかに両脇護衛艦がいるのを視認。この艦隊レイテ沖海戦破れ一息ついてから日本本土向かっていた第二艦隊栗田健男中将)であり、戦艦金剛長門大和中心に金剛前に軽巡洋艦矢矧戦艦両脇駆逐艦浦風磯風雪風浜風配して高速航行していた。シーライオン戦闘配置令して全速力追跡し艦首魚雷深度を2.6メートル設定して攻撃機会を待った。 2時45分シーライオン第二艦隊横腹入り込み速度落として浮上したまま攻撃態勢入った。2時56分、シーライオン2番手の金剛に対して魚雷を6本発射急旋回ののち3分後に3番手の長門に対して魚雷3本発射した。1分後、シーライオン3つの爆発音確認した最初魚雷金剛左舷艦首二番煙突下の缶室に命中し長門向かった魚雷長門艦首をかすめ去り長門の右斜め前にいた浦風命中浦風爆発起こしてそのまま姿を消したシーライオンは西に向けて航行し、「魚雷命中した目標装甲損傷しただけ」と判断して発装てんを急いだ3時10分までには2回目攻撃態勢整ったその間大和長門矢矧雪風は、金剛と金剛の護衛につけられ磯風浜風置いて北東方向全力逃げ去った。海は荒れてきて追跡徐々に困難になってきたが、4時50分には艦隊2つ別れたのをレーダー確認しシーライオン金剛追跡し始めた。5時12分には金剛まで1,500メートル接近したが、その直後シーライオン大きく揺さぶられた。金剛が大傾斜した末に火薬庫から大爆発起こして爆沈し、その影響正面受けたであった。 この時発射され魚雷含めアメリカ魚雷には弾頭に名前を記すことが慣例となっていた。大抵は妻かガールフレンドの名前だったが、時には戦時公債売りさばいた工場従業員の名前だったりもした。この時に発射され魚雷には、先代フィリピン爆撃受けた際に戦死した4名の乗組員フォスターオコンネルポール、オギルビーの名が記されていた。また、アメリカ潜水艦攻撃様子録音するのは前例がなかったが、シーライオンのこの攻撃の際には、戦闘配置令された後、シーライオン乗艦していたCBS従軍記者により攻撃様子録音が行われた。この時の録音は、後述5回目哨戒の際に録音されたものと合わせてアメリカ海軍水中測探研究所保存されており、これらは第二次世界大戦での海中攻撃様子収めた数少ない録音だと考えられるシーライオン中国大陸台湾の間を哨戒した。11月28日シーライオン32日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長チャールズ・F・プットマン(アナポリス1937年組)に代わった。

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第3の哨戒 1944年10月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:25 UTC 版)

ギターロ (ガトー級潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説

10月8日ギターロ3回目の哨戒ブリーム (USS Bream, SS-243) とともに南シナ海向かった10月23日深夜から24日未明にかけて、ギターロ北緯12度58東経11923分 / 北緯12.967度 東経119.383度 / 12.967; 119.383の地点で、レイテ島沖に向けてミンドロ海峡通過中の栗田健男中将率い第二遊撃部隊探知し同時期に探知したアングラー (USS Angler, SS-240) とともに司令部重要な情報送り続けた。これらの情報有効に生かされレイテ沖海戦でのアメリカ海軍勝利貢献した10月30日ギターロブリームレイトン (USS Raton, SS-270) と合流し午後にサンバレス州沿岸モマ05船団発見した。3隻は翌朝モマ05船団攻撃しギターロ魚雷を4本ずつ計8本発射魚雷は2隻の輸送船、ぱしふいっく丸(玉井商船、5,872トン)と広明丸(広海汽船、2,857トン)に命中してこれらを撃沈した11月4日には、北緯15度55東経11944分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733のルソン島沿岸ダソル(英語版)湾沖でタマ31A号船団発見した船団特設運送船香久丸(大阪商船、6,806トン)と二等輸送艦4隻で構成されていた。ウルフパック二等輸送艦には目もくれず、香久丸を攻め立てた。まずレイトンが香久丸に対して魚雷を6本発射した回避された。ギターロレイトン続いて接近し魚雷を4本発射して1本を香久丸に命中させた。三番手としてブリーム魚雷を4本発射し、1本が命中し香久丸は大火災発生して航行不能となる。その後タマ31A船団接近していたレイ (USS Ray, SS-271) が航行不能の香久丸に対して魚雷を2本発射し、2本とも命中させて香久丸を撃沈したレイトン先んじてタマ31A船団探知していたもの魚雷外したことが明らかだったため、香久丸撃沈戦果ギターロブリームおよびレイ三等分された。 11月6日ギターロブリームレイレイトン重巡洋艦熊野青葉の2隻を含んだマタ31船団発見ギターロ北緯15度55東経11944分 / 北緯15.917度 東経119.733度 / 15.917; 119.733の地点艦首艦尾発射管から魚雷を計10発射し3本を「愛宕重巡洋艦」に命中させたと判定続いてブリーム北緯1601東経11943分 / 北緯16.017度 東経119.717度 / 16.017; 119.717の地点魚雷を4本発射して14,000トン重巡洋艦」に2本命中させたと判定されるレイトンレイブリーム攻撃して1時間後に相前後して攻撃しレイトン魚雷を6本発射して2本か3本熊野命中させたと報告しレイ魚雷を4本発射して、2本を熊野命中させたと報告した夜に入りレイが「被雷した最上巡洋艦はダソル湾に逃げ込んだだろう」と報告した攻撃直後ギターロ駆潜艇から爆雷攻撃を受け、レーダー破壊される被害受けた致命的な損傷受けず、何とか哨戒続けることができた。11月16日ギターロ38日間行動終えてフリーマントル帰投艦長トーマス・B・ダブニー少佐アナポリス1936年組)に代わった。

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