第3の哨戒 1944年5月 - 7月
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「レッドフィン (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1944年5月 - 7月」の解説
5月26日、レッドフィンは3回目の哨戒でセレベス海およびスールー海方面に向かった。6月8日、レッドフィンはシブツ海峡にフィリピン人ゲリラを揚陸させた。その後、タウィタウィに集結していた日本艦隊に対する監視を実施するよう命令を受けた。その最中の6月11日未明、レッドフィンは北緯06度00分 東経120度50分 / 北緯6.000度 東経120.833度 / 6.000; 120.833の地点で特設運送船(給油)あさなぎ丸(日本海運、5,141トン)を発見。魚雷を6本発射して、最初の魚雷を命中させ撃沈した。6月13日、レッドフィンは当時アメリカ軍が進めつつあったマリアナ諸島攻撃にかかわる重要な発見をした。この日、マリアナ諸島に向けて第一機動艦隊(小沢治三郎中将)がタウィタウィを出撃し、レッドフィンは9時ごろに北緯05度04分 東経119度40分 / 北緯5.067度 東経119.667度 / 5.067; 119.667の地点で第一機動艦隊の出撃を目撃した。その内訳は、「空母6隻、戦艦4隻、重巡洋艦5隻、夕張型軽巡洋艦」1隻、駆逐艦2隻」であった。レッドフィンは攻撃の機会こそ得られなかったが、反撃の様子がないと見るや浮上して、司令部に日本艦隊出撃の報告を行った。報告後は通常の哨戒任務に戻り、6月21日には北緯09度53分 東経125度14分 / 北緯9.883度 東経125.233度 / 9.883; 125.233のリマサワ島(英語版)近海で2隻の「7,000トンないし8,000トン級輸送船」と「掃海艇」を発見し、魚雷を4本発射したものの効果はなかった。6月24日朝、レッドフィンは北緯09度56分 東経125度06分 / 北緯9.933度 東経125.100度 / 9.933; 125.100の地点で2隻の輸送船を発見し、魚雷を3本発射。魚雷は陸軍輸送船阿蘇丸(東亜海運、3,028トン)に命中してこれを撃沈した。レッドフィンはもう1隻の目標に対しても魚雷を4本発射し、1本が命中したと判定された。7月1日、レッドフィンは47日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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