第3の哨戒 1944年1月 - 2月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1944年1月 - 2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:38 UTC 版)

シーホース (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1944年1月 - 2月」の解説

1944年1月6日シーホース3回目の哨戒パラオ諸島方面向かった1月16日シーホース北緯12度48東経15018分 / 北緯12.800度 東経150.300度 / 12.800; 150.300のマリアナ諸島近海で、4隻の護衛艦かわした後に日光丸(大洋興業784トン)に向けて魚雷発射し3本命中させて撃沈したその後シーホースパラオ南東海域下り哨戒した。1月21日シーホース北緯0325東経13706分 / 北緯3.417度 東経137.100度 / 3.417; 137.100の地点で、折から悪天候をついてホーランジアに向かう輸送船団発見したシーホースは日が暮れてから攻撃し生駒丸日本郵船、3,156トン)とやすくに丸(浜根汽船、3,025トン)を撃沈した。この輸送船団には撃沈された2隻以外に輸送船はなく、護衛艦残して船団消滅したその後周辺海域哨戒続け1月28日にもラバウル行きの ン805船団発見したシーホース護衛艦上空航空機妨害排除しつつ80時間に及ぶ追跡の末、1月31日未明になって東晃丸(岡田商船、2,747トン)に向けて魚雷3本発射。うち2本が命中してこれを撃沈したシーホースはなおも ン805船団追跡し、翌2月1日にも攻撃別の目標魚雷発射したが、これは命中しなかった。続いて影丸山本汽船、4,004トン)に向けて最後に残った2本の魚雷発射した後、深深潜航護衛艦反撃から逃れた魚雷影丸命中して撃沈し攻撃終了後シーホース浮上して戦果確認した2月16日シーホース41日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第3の哨戒 1944年1月 - 2月」の解説は、「シーホース (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3の哨戒 1944年1月 - 2月」を含む「シーホース (潜水艦)」の記事については、「シーホース (潜水艦)」の概要を参照ください。

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