第3の哨戒 1943年10月 - 12月とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1943年10月 - 12月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:30 UTC 版)

スコーピオン (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説

10月13日スコーピオン3回目の哨戒トラック諸島方面向かった10月17日ミッドウェー島給油した後、まずマリアナ諸島周辺向かい10月25日26日2日間にわたってパガン島アグリハン島偵察11月2日パハロス島近海海図載っていない暗礁軽く座礁したが、損害はほとんどなく、すぐに離礁した。11月5日には最上型重巡洋艦思われる艦影発見したが、スコールによって邪魔をされ、4時追跡した結局見失った11月7日アグリハン島沖に戻り11月8日には北緯2040東経14452分 / 北緯20.667度 東経144.867度 / 20.667; 144.867の地点輸送船発見して魚雷3本発射したが、どうもQシップではないか思われたため、スコーピオンその場去ったその後この海域悪天候続き、なかなか敵船発見できなかった。しかし、11月13日になって北緯1820東経14250分 / 北緯18.333度 東経142.833度 / 18.333; 142.833のパガン島近海で、3隻の護衛艦がついた特務艦知床発見スコーピオン魚雷を4本発射し、1本が知床ボイラー室命中し航行不能となった護衛艦威嚇のために爆雷攻撃をしてきたが、それ以上には攻撃してこなかった。スコーピオン11月14日にはロタ島近海15日にはサイパン島近海哨戒をした。しかし、依然として悪天候は収まらず、11月22日に2隻の護衛艦がついた輸送船発見し16時間も追跡したものの、結局攻撃できなかった。12月5日スコーピオン53日間行動終えて真珠湾帰投した。

※この「第3の哨戒 1943年10月 - 12月」の解説は、「スコーピオン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3の哨戒 1943年10月 - 12月」を含む「スコーピオン (潜水艦)」の記事については、「スコーピオン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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