第3の哨戒 1943年10月 - 11月
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「ハーダー (SS-257)」の記事における「第3の哨戒 1943年10月 - 11月」の解説
10月30日、ハーダーは3回目の哨戒でスヌーク (USS Snook, SS-279) 、パーゴ (USS Pargo, SS-264) とウルフパックを構成しマリアナ諸島方面に向かった。11月12日午後、ハーダーは北緯21度03分 東経144度40分 / 北緯21.050度 東経144.667度 / 21.050; 144.667のウラカス島近海で輸送船と「武装トローラー」を発見。魚雷を3本発射して2つの命中を確認し、観測してみると特設掃海艇第十一鶚丸(日本海洋漁業、265トン)がまさに沈もうとしている場面に遭遇した。護衛艦を始末したことでハーダーは浮上砲戦に移り、3インチ砲と20ミリ機銃の射撃を行い、輸送船も始末したと判定された。11月19日未明には、北緯22度28分 東経147度22分 / 北緯22.467度 東経147.367度 / 22.467; 147.367のサイパン島沖で4隻の輸送船に駆逐艦夕月と海防艦福江が護衛する第4111船団を発見し、2隻の目標に対して魚雷を6本、さらに艦尾発射管から3本の計9本発射して5つの爆発を確認する。魚雷は2隻の輸送船、鵜戸丸(日本製鐵、3,936トン)と北江丸(大連汽船、5,384トン)に命中し、鵜戸丸は沈没して第10号駆潜艇を曳航中だった北江丸は大破する。北江丸は夕月と輸送船日鉱丸(日産汽船、5,949トン)に曳航されたが上手くゆかず、いつしか夕月は日鉱丸を見失ってしまった。ハーダーは暗夜の中をレーダーを頼みに2つの目標に対して魚雷を4本発射し、日付が11月20日に変わって間もなく魚雷をもう3本発射し、2本が命中したことを確認する。1隻は間もなく沈没していったが、もう1隻は健在だろうと思われさらに魚雷を1本発射したが命中せず、相手が備砲で反撃してくる中を重ねて魚雷を3本発射したが結果はよく分からなかった。しかし、目標を全て一掃したと報告して攻撃を終えることとした。北江丸と日鉱丸の最後ははっきりしないが、一連の攻撃によって沈没した。明け方近く、ハーダーのレーダースクリーンに3隻の駆逐艦の思しき目標が探知され、最後に残った魚雷を発射してのち、針路を真珠湾に向けた。11月30日、ハーダーは31日間の行動を終えて真珠湾に帰投。その後、メア・アイランド海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。折から、「H.O.R.エンジン搭載艦は1隻残らず、暫時エンジンを換装するように」という合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長アーネスト・キング大将の命令が出ており、甚だ旧式でトラブルが多く信頼性に欠けていたH.O.R.エンジンを、本来搭載されるGM社製278A16気筒エンジンに換装した。1944年2月27日、オーバーホールを終えたハーダーは真珠湾に戻ってきた。
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