第3の哨戒 1942年4月 - 6月
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「ソーリー (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1942年4月 - 6月」の解説
4月28日、ソーリーは3回目の哨戒でセレベス島方面に向かったが、3日後に潜航訓練を行った際に、ツリムを保つ後部タンクにひび割れが発見されたため、修理のため引き返した。修理完了後の5月7日に再度出撃。5月14日までティモール島近海で哨戒した後、5月16日以降はフローレス海で、バンダ海とセレベス間の交通路を哨戒した。5月18日、ソーリーはウオウオニ島沖で敵船を発見し、魚雷を3本発射したが命中しなかった。ソーリーはケンダリへの交通路遮断のため2日間哨戒した後、モルッカ海峡とグレートバウンド海峡を通過してセレベス北部に移動。5月23日と24日にはマナド近海で哨戒した。5月26日からはセレベス海東部で哨戒し、5月28日には水上機母艦と商船に対して攻撃を行ったが成功しなかった。 6月8日、ソーリーは再びモルッカ海峡とグレートバウンド海峡を通過して南に向かい、6月12日から14日まではケンダリ沖で再度の哨戒。6月15日、ソーリーはオーストラリアに針路を向け、ブトン海峡からフローレス海、ティモール島沖と通過した。6月28日、ソーリーは61日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。艦長がレナード・S・メホワイニー少佐(アナポリス1927年組)に代わった。
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