第3の哨戒 1942年3月 - 5月
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「スタージョン (潜水艦)」の記事における「第3の哨戒 1942年3月 - 5月」の解説
3月15日、スタージョンは3回目の哨戒でマカッサル海峡方面に向かった。3月30日、スタージョンはマカッサル沖で海軍徴傭船朝晃丸(大洋興業、842トン)を撃沈する。4月3日、スタージョンは750トン程度の護衛艦に命中弾を与え、艦名不詳ながら敵艦を撃沈したものとして公式に記録した。続いて3本の魚雷を商船に向けて発射したが全弾が外れる。前部魚雷発射管には1発の魚雷が残っており、最後の1本を敵船に発射、前檣部に命中させる。最後に目撃した様子では、敵船は左舷に大きく傾いてセレベス島の海岸に向けて進んでいたように見えた。4月6日、スタージョンはタンカーに対して魚雷を発射したが、距離が非常に近かったため攻撃は失敗した。護衛艦による爆雷攻撃が行われたがそれらを回避しマカッサル海峡のマンダル岬沖の哨戒を続けた。4月22日にスタージョンは駆逐艦のサーチライトで照射され、潜航して2時間に及ぶ爆雷攻撃を回避した。4月28日、スタージョンはオーストラリアに向かった。しかしながら4月30日の夜に航海は中断され、何名かのイギリス空軍パイロットの救助に当たりチラチャップ湾入り口の島に上陸させた。チェスター・W・ニミッツ・ジュニア大尉(アナポリス1936年組)が指揮する上陸部隊は入江に入ってサーチライトで辺りを探索したが、荒れ果てた小屋しか見つからなかった。上陸部隊を収容したスタージョンはフリーマントルに針路を向けた。5月7日、スタージョンは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。修理を行った。
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第3の哨戒 1942年3月 - 5月
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「トラウト (SS-202)」の記事における「第3の哨戒 1942年3月 - 5月」の解説
3月24日、トラウトは3回目の哨戒で日本近海に向かった。トラウトは潮岬と市江崎の間を哨戒。4月9日に北緯33度24分 東経135度30分 / 北緯33.400度 東経135.500度 / 33.400; 135.500の地点で2隻の小型貨物船を発見し、それぞれの目標に対して魚雷1本ずつ発射したが、命中しなかった。翌日には北緯33度21分 東経134度15分 / 北緯33.350度 東経134.250度 / 33.350; 134.250の地点で小型汽船に対して魚雷1本を発射したが、やはり命中しなかった。4月11日には、北緯33度27分 東経135度37分 / 北緯33.450度 東経135.617度 / 33.450; 135.617の潮岬沖で海軍徴傭タンカー日新丸(大洋捕鯨、16,801トン)を発見し、魚雷を2本発射。1本が船尾に命中したものの、沈没には至らなかった。4月16日から23日までは、ドーリットル空襲の支援に任じた。4月24日、トラウトは周参見沖で1万トンクラスと思われるタンカーを発見し、魚雷を2本発射。魚雷はタンカー橘丸(共同企業、6,539トン)に命中し、別の貨物船が橘丸に接近するのが見えた。トラウトは魚雷をもう1本発射したが、これは命中しなかった。さらに460メートルにまで接近し、さらに1本発射。命中により物凄い爆発が起こったように見え、貨物船は浅瀬の方に向かって航行していた。4日後の4月29日深夜、トラウトは北緯33度10分 東経135度20分 / 北緯33.167度 東経135.333度 / 33.167; 135.333の地点で1,000トンクラスの哨戒艦か掃海艇、実際には監視船紀洋丸(和歌山県、127トン)に対して雷撃。4月30日朝にも北緯33度24分 東経135度30分 / 北緯33.400度 東経135.500度 / 33.400; 135.500の地点で貨物船剣山丸(阿波国共同汽船、3,108トン)に対して雷撃を行ったが、命中しなかった。5月2日、トラウトは樫野埼灯台沖で輸送船宇山丸(拿捕船/興国産業、5,014トン)を撃沈。2日後の5月4日には、大王崎沖にて特設砲艦金剛山丸(日本海汽船、2,119トン)に対し魚雷を2本発射。最初に発射した魚雷は命中しなかったが、2本目は命中。金剛山丸は瞬時にして沈没した。攻撃後、トラウトは6時間に及ぶ爆雷攻撃を受けたが、被害はなかった。5月17日、トラウトは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投。この哨戒に対して2度目の殊勲部隊章が授けられた。
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