第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失
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「アルゴノート (SS-166)」の記事における「第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失」の解説
12月、アルゴノートは3回目の哨戒でニューブリテン島方面に向かった。ニューブリテン島とブーゲンビル島の間の危険水域を中心に、セント・ジョージ岬の南などを哨戒することとなっていた。 1943年1月10日、アルゴノートは南緯05度40分 東経152度02分 / 南緯5.667度 東経152.033度 / -5.667; 152.033の地点で、ラエからラバウルへ帰還する5隻の貨物船とその護衛である舞風、磯風、浜風の3隻の駆逐艦から成る船団を発見する。一方、8時20分、船団上空を哨戒飛行していた第582航空隊の九九式艦爆は潜航しているアルゴノートに対して3発の対潜爆弾を投下し舞風が爆撃現場に急行して爆雷攻撃を行った。8時45分ごろ、海面上にアルゴノートの艦首が急角度で突き出し、舞風、磯風はこの好機を逃さず砲撃を加え、アルゴノートは船首に被弾した。舞風、磯風、浜風の3駆逐艦はアルゴノートを取り囲み、上空からは九九式艦爆も爆撃に加わって攻め立てた。攻撃を継続した結果、アルゴノートも異常な角度で潜航を始めた。アルゴノートはそのまま波間に沈み、再び浮上することはなかった。ピアース艦長以下105名の乗組員がアルゴノートと運命を共にした。 アルゴノートの戦闘を目撃した陸軍機クルーからの報告書では、アルゴノートは最後の哨戒で日本軍駆逐艦に損傷を与えたと記録される。その記録では、爆撃帰りで偶然付近を飛行していた陸軍機が、アルゴノートが船団に攻撃を行う現場を目撃しており、一隻の駆逐艦に魚雷が命中するのを目撃し、駆逐艦は速やかに反撃したと記録された。 アルゴノートは第二次世界大戦の戦功で2個の従軍星章を受章した。
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