第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失とは? わかりやすく解説

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第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/03 07:53 UTC 版)

アルゴノート (SS-166)」の記事における「第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失」の解説

12月アルゴノート3回目の哨戒ニューブリテン島方面向かったニューブリテン島ブーゲンビル島の間の危険水域中心にセント・ジョージ岬の南などを哨戒することとなっていた。 1943年1月10日アルゴノート南緯0540東経15202分 / 南緯5.667度 東経152.033度 / -5.667; 152.033の地点で、ラエからラバウル帰還する5隻の貨物船とその護衛である舞風磯風浜風の3隻の駆逐艦から成る船団発見する一方、8時20分、船団上空哨戒飛行していた第582航空隊九九式艦爆潜航しているアルゴノートに対して3発の対潜爆弾投下し舞風爆撃現場急行し爆雷攻撃行った。8時45分ごろ、海面上にアルゴノート艦首急角度突き出し舞風磯風はこの好機逃さず砲撃加えアルゴノート船首被弾した。舞風磯風浜風の3駆逐艦アルゴノート取り囲み上空からは九九式艦爆爆撃加わって攻め立てた攻撃継続した結果アルゴノート異常な角度潜航始めたアルゴノートそのまま波間沈み、再び浮上することはなかった。ピアース艦長以下105名の乗組員アルゴノート運命を共にした。 アルゴノート戦闘目撃した陸軍クルーからの報告書では、アルゴノート最後哨戒日本軍駆逐艦損傷与えた記録される。その記録では、爆撃帰りで偶然付近飛行していた陸軍機が、アルゴノート船団攻撃を行う現場目撃しており、一隻駆逐艦魚雷命中するのを目撃し駆逐艦速やかに反撃した記録された。 アルゴノート第二次世界大戦戦功で2個の従軍星章受章した

※この「第3の哨戒 1942年12月 - 1943年1月・喪失」の解説は、「アルゴノート (SS-166)」の解説の一部です。
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