函館事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 12:02 UTC 版)
「永山則夫連続射殺事件」の記事における「函館事件」の解説
函館事件の現場地図(北海道亀田郡七飯町大川6丁目13番地3号) 東京・京都で2人を殺害した永山は気持ちが落ち着かず、生まれ故郷の北海道網走市で自殺しようと考えて北海道へ向かったが、10月26日深夜に函館市近郊(北海道亀田郡七飯町字大川164番地)でタクシー運転手・男性C(事件当時31歳・帝産函館タクシー株式会社運転手)を射殺し、売上金などを奪った(第3の殺人・強盗殺人事件)。一方で警察庁は京都事件後、第3の犯行を阻止するため全国の警察に対し、公園・ホテルなどのパトロール強化と警備員などへの危害防止のため万全の措置を取るよう警戒態勢を敷かせていたが、函館事件はその警戒網を掻い潜る形で発生した。 永山は京都事件後の10月19日、網走へ向かうための旅費を工面するために池袋に住む次兄を訪ねたが、次兄から金を必要とする理由を追及された。そのため、永山はやむなく拳銃を見せ、次兄に対しそれまでの犯行を打ち明けた上で「北海道で自殺する」と決意を告げたところ、次兄から「警察に自首しろ」と勧められたがこれを断り、旅費として8,000円ほどをもらった。そして拳銃・実包を持って上野駅から普通列車(青森駅まで)・連絡船を乗り継いで同月21日に函館へ到着し、札幌駅行きの急行列車に乗車した。永山は「自殺する前に札幌市内を見物しておこう」と考え、同日から翌日(10月22日)まで札幌市内を見物したが、次第に自殺願望が和らいだため「東京に帰ろう」と決意し、同月26日夜には函館市内へ至った。しかし当時は所持金をほとんど費消して残り僅かになっていたため、永山は「拳銃でタクシーの運転手を射殺して金を奪おう」と決意し、日本国有鉄道(国鉄)函館駅のトイレ内で拳銃に実包6発を込め、同日22時50分過ぎごろに函館駅前付近の路上を通りかかったタクシー(帝産函館タクシー・被害者Cが運転)に乗車した。永山は犯行に適する場所を求め、運転手の被害者Cに対し七飯町へ行くよう指示し、事件現場の路上までタクシーを走行させると、同日23時13分ごろに事件現場路上でタクシーを停車させ、隠し持っていた拳銃を取り出した。そしてタクシー後部座席から運転席にいた男性Cの頭部・顔面を続けて2回狙撃し、Cが所持していた売上金(現金約7,000円)とがま口1個(現金約200円在中)を強取して約2時間かけて函館市街地まで逃走した。Cは鼻根部・右眼瞼左端部にそれぞれ貫通射創を負い、翌日(10月27日)8時15分ごろに市立函館病院(函館市弥生町2番33号)で死亡した。 東京・京都の両事件が警備員を拳銃で射殺した事件である一方、本事件はタクシー運転手を狙った強盗殺人とされたほか、事件発生当初は被害者Cの死因も「鈍器で殴られたことによる脳内出血」とみられていたために初動捜査は遅れた。しかし事件翌日(10月27日)に函館中央警察署(北海道警察)の捜査本部がCの遺体を函館病院で司法解剖したところ、右目窪みから金属片1個が発見され、その金属片を日本製鋼所室蘭製作所研究所で鑑定したところ、11月5日(名古屋事件発生日)には材質が鉛・真鍮であることが判明した。そして同月12日に函館中央署が改めて被害者Cの乗務していたタクシーを捜索したところ、右前部の三角窓のゴム枠内から線条痕の付いた金属片(銃弾)が発見され、科学警察研究所の鑑定で108号事件に指定された東京・京都・名古屋の各事件で使用された拳銃と同一の弾丸と判明した。そのため警察庁は11月13日に函館事件を「連続ピストル射殺事件(108号事件)と同一犯である」と断定した上で108号事件に追加指定し、北海道警本部も108号事件の加害者が北海道まで来た理由を突き止めるべく捜査を開始したが、初動捜査の遅れに加え、それまで拳銃による事件をほとんど扱ったことがなかったこともあって捜査は難航した。
※この「函館事件」の解説は、「永山則夫連続射殺事件」の解説の一部です。
「函館事件」を含む「永山則夫連続射殺事件」の記事については、「永山則夫連続射殺事件」の概要を参照ください。
- 函館事件のページへのリンク