函館共同競馬会社への移行と競馬場の移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 15:45 UTC 版)
「函館海岸町競馬場」の記事における「函館共同競馬会社への移行と競馬場の移転」の解説
1887年(明治20年)10月、北海共同競馬会社とはまったく別の団体として函館の有志による競馬会が結成され、1887年(明治20年)10月と翌1888年9月に競馬を開催した。北海共同競馬会社と函館有志競馬会は対立する関係にもなったという。1889年(明治22年)北海共同競馬会社は北海道庁から払い下げを受け函館海岸町競馬場を所有する。北海共同競馬会社と函館有志競馬会は函館の有志の仲介により1890年(明治23年)8月には合併することになり函館共同競馬会と組織を改める。北海共同競馬会社の幹部は官吏が主だったので、函館有志競馬会との合併でできた函館共同競馬会は官民合同の競馬会とも言われている。しかし、その運営は以前と変わらず有志・会員からの寄付に頼っていた(この当時、馬券は禁止されている)。 官民合同で発足した函館共同競馬会は函館海岸町競馬場での競馬開催を続けるが、1894年(明治27年)、海岸町の競馬場敷地の購入を希望する者が現れ、希望に沿って敷地を売却し、亀田郡湯川村字柏野に移転することになった。1896年(明治29年)柏野に移転・新築した馬場は一周が550間(1000メートル)と函館海岸町競馬場よりやや拡大され、後にさらに拡張されて現在の函館競馬場となっていく。函館共同競馬会もその後函館競馬会、函館競馬倶楽部へと名称を変え発展していく。 1896年(明治29年)6月の競馬を最後に函館海岸町競馬場は廃止された。
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