ヨーロッパ中心主義
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ヨーロッパ中心主義(ヨーロッパちゅうしんしゅぎ、英語: Eurocentrism, Eurocentricity, Western-centrism[1])とは、本来は地球上に数ある諸文明の一つに過ぎない欧州文明(特に西欧)を格別のものとしてみなす考え。歴史学ではヨーロッパ中心史観とも表現される[2]。
注釈
出典
- ^ Hobson, John (2012). The Eurocentric conception of world politics : western international theory, 1760-2010. New York: Cambridge University Press. p. 185. ISBN 978-1107020207
- ^ a b c d 羽田正「新しい世界史とヨーロッパ史」パブリック・ヒストリー 7 1-9, 2010-02,大阪大学西洋史学会
- ^ Marks, R. B., The Origins of the Modern World. A Global and Ecological Narrative from the Fifteenth to the Twenty-first Century (Second Edition), Oxford, Rowman & Littlefield Publishers, 2007(First Edition 2002), pp. 8-9.
- ^ Dussel, Enrique (2011) Politics of Liberation: A Critical World History London: SCM Press p.11 ISBN 9780334041818
- ^ カール・マルクス『経済学批判』序文
- ^ a b c d e f グッディ 1998, p. 4-5.
- ^ a b グッディ 1998, p. 6.
- ^ a b c d e グッディ 1998, p. 7-8.
- ^ グッディ 1998, p. 9.
- ^ グッディ 1998, p. 10.
- ^ グッディ 1998, p. 11.
- ^ a b c d グッディ 1998, p. 12-3.
- ^ a b c d グッディ 1998, p. 14-5.
- ^ a b グッディ 1998, p. 18-9.
- ^ 2013年9月8日 日経新聞「日曜に考える」
ヨーロッパ中心主義
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「ミハイル・バクーニン」の記事における「ヨーロッパ中心主義」の解説
バクーニンのヨーロッパ中心主義は、彼が唱えたヨーロッパ合州国構想や彼が支持したロシアの植民地主義に明らかであった。親類であり後見人でもあったニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーは植民地政策を推進していた。バクーニンは横浜に短い間滞在していたことがあるが、日本や日本の農民については無関心であった。 バクーニンの思想を形作るこれらの側面はすべて、アナキストとなる以前に端を発するものである。バクーニンの思想がアナキズムへと転化したのは1865年以降であり、シベリア流刑ののち日本経由で脱出を図ってから何年か後のことであった。
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