ヨーロッパ世界へのコーヒーの伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 14:26 UTC 版)
「コーヒーの歴史」の記事における「ヨーロッパ世界へのコーヒーの伝播」の解説
17世紀初頭のヨーロッパではコーヒーはまだ珍奇な飲料であり、植物学者や医学者以外の人間にはほとんど知られていなかった。1596年にフランスの医師・植物学者のカロルス・クルシウスが、イタリアの植物学者ベッルスからコーヒー豆と豆の調理法に言及した書簡を送られた記録が残る。 「キリスト教徒の聖なる飲み物であるワインをイスラム教徒は飲めないため、悪魔からコーヒーを与えられる罰を受けている」として、「悪魔の飲み物」にあたるコーヒーの飲用に反対する人間もおり、ローマ教皇はコーヒーに対する教会の見解を出すように求められた。1600年頃に当時のローマ教皇クレメンス8世はコーヒーを裁判にかけるべく、自ら味見をした。クレメンス8世はこの時にコーヒーの香りと味に魅了されたと言われ、クレメンス8世は悪魔の飲み物であるコーヒーに洗礼を施してキリスト教徒がコーヒーを飲用することを公認した。研究者の中には、クレメンス8世は彼が裁判の前からコーヒーを愛飲しており、自身の経験からコーヒー飲用の禁止の徹底が困難であると考えて公認したと推測する意見もある。 17世紀前半、地中海貿易において主導的な役割を果たしていたヴェネツィアの商人を介してコーヒーはヨーロッパ各地に広まっていく。17世紀のヨーロッパ社会において、コーヒーはアルコール度数の低いビールやワインに代わる、衛生的な飲料として受け入れられた。また、コーヒーがもたらす覚醒作用も好意的に捉えられ、コーヒーはアルコール飲料と逆の性質のものと見なされるようになった。時にコーヒーは万能薬のように紹介され、イスラーム世界の「コーヒーと牛乳を一緒に飲むとハンセン病の原因になる」迷信も伝えられた。17世紀末からヨーロッパでは、コーヒーの淹れ方を教授する書籍が盛んに出版される。
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