ヨーロッパ中心主義、一元的歴史観に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
「枢軸時代」の記事における「ヨーロッパ中心主義、一元的歴史観に対する批判」の解説
「枢軸時代」の提唱は、ヤスパースの企図としてはヨーロッパ中心史観からの脱却という契機があったことは上述のヤスパース自身のことばからも明らかであるが、実際のところはヨーロッパ中心史観へと回帰しているという批判がある。また、上述した村上泰亮は「枢軸時代」で指摘される平行現象に同様の関心と問題意識を払いながら、ヤスパースの構想には何ら言及していない。梅棹の生態史観を「一見多系的にみえながらそこに内在する一元歴史観」として批判する村上の多系史観は、人類をひとつの起源とひとつの目標をもつと考えるヤスパースの宗教的信念や歴史観とはかけ離れているばかりでなく、結論としては逆方向の「多系性」を指向する。「精神革命」を唱えた伊東俊太郎は簡単に「枢軸時代」に言及しているが、その位置づけについてはヤスパースの提案は換骨奪胎されており、伊東自身は「多様化」を主張している。 方法論としてヤスパースは上述のとおり、実証的な歴史研究ではなく、哲学的な自覚を通して「枢軸時代」に近づこうとしており、それゆえ歴史学者がこの議論を取り上げることは決して多くない。むしろ従来看過されてきたのであり、樺山紘一の指摘においても「枢軸時代」の用語は登場しない。 ヤスパース自身が想定した「異議」、すなわち、枢軸時代において中国、インド、西洋において共通しているようにみえる現象はやはり見かけだけではないのか、枢軸時代とは歴史的事実ではなく、一つの価値判断の結果にすぎないのではないか、そしてまた、こうした平行関係に歴史的性格は認められないのではないかという疑問や批判は依然つきまとうのである。
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