1865年以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 16:00 UTC 版)
アメリカ合衆国対クルクシャンク事件(1876年)。コルファックス虐殺の裁判。最高裁により憲法修正第14条(公民権の定義)は州の行動に適用され、個人の暴力には適用されないとした。 アメリカ合衆国対ハリス事件(1883年)。憲法修正第14条は州の行動に適用され、個人の犯罪には適用されないので、平等保護条項は1883年の監獄内リンチ事件には適用されないとした。 公民権訴訟(1883年)。公共の施設における人種差別を禁じた法律である1875年の公民権法を無効化することにより差別を許容した。最高裁は平等保護条項は州の行動に適用され、個人によってなされることには適用されないとし、1875年の公民権法は個人の行動に適用されるので、憲法修正第14条の第5節の下での合衆国議会の権力を越えているとした。 プレッシー対ファーガソン事件(1896年)。「分離するが平等」に扱う原理は平等保護条項に合致しているとし、法律上の差別を適法とすることにより、ジム・クロウ法の始まりとなった。憲法修正第14条と憲法修正第15条(黒人の参政権)は公民権運動の時までほとんど有効ではなかった。現代の最高裁を含む裁判では公民権訴訟を憲法修正第14条の適用範囲を制限するものとして解釈している。 南北戦争自体と憲法修正条項は、アメリカが分割できない連合となるか連邦政府の下に州の集合となるかを熟考させた。20世紀の初めまでに、州と連邦政府の間に強い連携関係が育ち始め、連邦政府はより強い権力を持つようになった。国税である所得税が導入されたのがこの時期であり、最初は南北戦争の時、最終的には1913年の憲法修正第16条で恒久化された。これ以前では、人民が税を払わねばならない政体の最高形態は州であったが、現在はもう一つ上の権威が追加されて連邦政府となった。所得税の執行の直ぐ後に世界恐慌、ニューディール政策、第二次世界大戦と続き、連邦政府にはより高い権威と責任が付いてくるようになった。ウィッカード対フィルバーン事件は、人が自分の土地でどれだけの食料を生産できるかまでも決める権限を連邦政府に与えた。これは州間の商業交易に影響し商業条項(憲法第1条第8節第3項)の法に支配されるという論法であった。 第二次世界大戦後、ハリー・トルーマン大統領は公民権法を支持し、軍隊での人種差別を禁じた。これに反応した南部の民主党が党を割り、ストロム・サーモンドを指導者とする州権民主党(ディキシークラット)が結党された。サーモンドは1948年の大統領選挙にも出馬したが、トルーマンに敗れた。
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