1865年:共和国軍の勝利
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「メキシコ出兵」の記事における「1865年:共和国軍の勝利」の解説
フランス軍は1865年2月9日にはバゼーヌによるオアハカ占領するなど勝利を継続していた(敗れた共和国側の将軍はポリフィリオ・ディアスである)。 フランス艦隊は兵士を上陸させ、3月29日には コルテス海に面したグアイマスを攻略した。しかし4月11日に共和国軍は帝国軍をミチョアカン州のタカンバロでの戦いで破った。4月と5月には共和国軍はシナロア州とチワワ州に多数の軍を有するようになった。さらにリオグランデ川沿いの都市のほとんどを占領した。ベルギー義勇軍は7月11日の第2次タカンバロの戦いで共和国軍に敗れた。 10月3日には「黒い布告」として悪名高い「10月布告」がマクシミリアンによって出された。これは戦争で捕虜となったメキシコ人を即刻処刑するというもので恫喝であった。これはのちにマクシミリアンが処刑される理由となった。10月21日に、この布告によって階級が高い共和国の兵士が処刑された。
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