1864年中の活動とは? わかりやすく解説

1864年中の活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/30 00:13 UTC 版)

バージニア2 (装甲艦)」の記事における「1864年中の活動」の解説

1864年6月21日バージニア2はジョン・ミッチェル代将司令官勤めジェームズ川艦隊旗艦として、トレント・リーチでの北軍艦隊との戦闘出撃した。しかしながら、側にいたリッチモンドから外れたチェーンバージニア2のスクリュー絡まりそれ以降戦闘には参加できなかった。 8月13日には、ダッチ・ギャップの北軍艦隊攻撃加わったUSS モーガスとその艦載砲艦が攻撃をかけてきた。砲の操作上手くいかなかったが、バージニア2に2発の命中弾を与えている。8月17日にはシグナル・ヒル奪取作戦参加し北軍防衛部隊に対し午後3時から午後9時まで砲撃加えた9月29日から9月30日チャフィン農園の戦いで、ニューマーケット高地ハリソン要塞Fort Harrison)が北軍奪われた。9月30日から10月1日にかけて、バージニア2および艦隊残存艦艇は、陸軍協力してハリソン要塞の再奪取試みた失敗した。これはジェームズ川北部においてはコールドハーバーの戦い以降最大戦闘であったバージニア2はドック入って新し大砲搭載している最中であったため、急いでドック出たものの、戦闘への参加遅れた補給艦ガレーゴがバージニア2のアンカーチェーンに絡まり、ガレーゴは沈没している。 艦隊ジェームズ川通常哨戒中の10月22日早朝驚くべきことに北軍がコックスヒルの要塞化完了していることが発見された。南軍木造艦艇撤退助けるため、バージニア2は装甲艦2隻を伴って砲台接近し上流のチャフィンズ・ブラフ(Chaffin's Bluff)までの撤退成功させた。この間バージニア2の煙突敵弾で穴だらけになっている遭遇線ではなったが、この小さな戦闘装甲艦砲郭近接砲撃に対して有効であることを証明したバージニア2の場合100ポンド円錐型徹甲弾が7発命中しているが、装甲板僅かに傷ついた程度であった12月7日装甲艦フレデリックスバーグリッチモンド伴ってバージニア2はトレント・リーチ近くブラディ要塞向けて出航した日没前後から艦隊要塞の間に砲撃戦が行われ、完全に暗くなるまでそれは続いた

※この「1864年中の活動」の解説は、「バージニア2 (装甲艦)」の解説の一部です。
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