1864年中の活動
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「バージニア2 (装甲艦)」の記事における「1864年中の活動」の解説
1864年6月21日、バージニア2はジョン・ミッチェル代将を司令官を勤めるジェームズ川艦隊の旗艦として、トレント・リーチでの北軍艦隊との戦闘に出撃した。しかしながら、側にいたリッチモンドから外れたチェーンがバージニア2のスクリューに絡まり、それ以降の戦闘には参加できなかった。 8月13日には、ダッチ・ギャップの北軍艦隊攻撃に加わった。USS モーガスとその艦載砲艦が攻撃をかけてきた。砲の操作が上手くいかなかったが、バージニア2に2発の命中弾を与えている。8月17日にはシグナル・ヒルの奪取作戦に参加し、北軍防衛部隊に対し午後3時から午後9時まで砲撃を加えた。 9月29日から9月30日のチャフィン農園の戦いで、ニューマーケット高地とハリソン要塞(Fort Harrison)が北軍に奪われた。9月30日から10月1日にかけて、バージニア2および艦隊の残存艦艇は、陸軍と協力してハリソン要塞の再奪取を試みたが失敗した。これはジェームズ川北部においてはコールドハーバーの戦い以降の最大の戦闘であった。バージニア2はドックに入って新しい大砲を搭載している最中であったため、急いでドックを出たものの、戦闘への参加は遅れた。補給艦ガレーゴがバージニア2のアンカーチェーンに絡まり、ガレーゴは沈没している。 艦隊がジェームズ川を通常哨戒中の10月22日早朝、驚くべきことに北軍がコックスヒルの要塞化を完了していることが発見された。南軍の木造艦艇の撤退を助けるため、バージニア2は装甲艦2隻を伴って砲台に接近し、上流のチャフィンズ・ブラフ(Chaffin's Bluff)までの撤退を成功させた。この間にバージニア2の煙突が敵弾で穴だらけになっている。遭遇線ではなったが、この小さな戦闘は装甲艦の砲郭が近接砲撃に対して有効であることを証明した。バージニア2の場合、100ポンド円錐型徹甲弾が7発命中しているが、装甲板は僅かに傷ついた程度であった。 12月7日、装甲艦フレデリックスバーグとリッチモンドを伴って、バージニア2はトレント・リーチ近くのブラディ要塞へ向けて出航した。日没前後から艦隊と要塞の間に砲撃戦が行われ、完全に暗くなるまでそれは続いた。
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