ドイツ軍の反跳爆弾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/10 14:27 UTC 版)
ドイツ軍は、チャスタイズ作戦の後、不発となったアップキープ爆弾を森の中で発見した。これが兵器専門家などによって分析され、1943年6月17日、ヘルマン・ゲーリングからアルベルト・シュペーアに報告された。その後、ドイツ空軍によって重量385kg(850ポンド)の反跳爆弾が試験された。これは、トラーフェミュンデ(Travemünde)にあったドイツ空軍研究センターにおいて対イギリス艦艇攻撃用として設計されたもので、コードネーム・クルト(Kurt)と呼ばれた。しかしながら、ドイツ軍の反跳爆弾は、投下前の爆弾に対するバックスピンをさせなかったため、Fw190によって行われた実験では、投下した航空機と同じ速度で爆弾が跳躍するため、危険であると判断された。この問題をロケットブースターによって解決しようとしたものの、うまくいかずに、1944年にプロジェクトは中止された。
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