ドイツ軍の海岸防御
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「オマハ・ビーチ」の記事における「ドイツ軍の海岸防御」の解説
チェコの針鼠 - 3つの足がある対戦車障害物 コインテット要素 (Cointet-element) /ベルギーのゲート (Belgian Gate) - 2メートルの高さの鉄のゲート、最初はベルギーで使用された。 木の杭 - 先に地雷がついた大きな杭。上陸用舟艇の接近を止めるために海側に向いて配置されていた。 木の斜面 - 絶壁に向かって角度を持った斜面でその上と側面に地雷がある。角度を持たせている理由は、接近する上陸用舟艇がぶつかり地雷が起爆するようにするためである。 地雷原 抵抗拠点 (Widerstandsnester) – コンクリート製トーチカで、機関銃で武装 実は、ノルマンディー上陸作戦時、連合軍を苦しめたドイツ軍による大西洋の海岸防御は、大戦初期から着々と続けられたものではない。 1940年当時、欧州を支配下に収めたナチス・ドイツには、「アシカ作戦」でイギリスを制圧する計画があったが、ヒトラーは、それ以前にイギリスはドイツに対し講和を求めてくると考えており、大西洋岸を守る必要を全く感じていなかった。 だがイギリスはアメリカの援助のもと「バトル・オブ・ブリテン」を耐え、ナチスと徹底的に戦い抜く姿勢を見せる。そして41年6月、突発的に対ソ開戦に踏み切り、東部戦線を展開したヒトラーには、長大な大西洋岸が、いつイギリス軍が上陸してくるかもしれない無防備な浜辺に思えてきたのである。こうしてヒトラーは41年秋、大西洋岸の要塞化計画を初めて提案した。 41年12月、アメリカ対独参戦を知ったヒトラーは「大西洋の壁」建設を急激に進行させ、43年末には主要な港湾都市、ドーバー海峡との最も狭い箇所などは要塞化させていったが、ノルマンディーのこの地域にはまだ手が届かず、不完全な状態だった。 この状態を劇的に改善したのは、エルヴィン・ロンメルである。43年11月「大西洋の壁」建設の進捗を視察し直接報告せよと、ヒトラーの命令を受けて着任したロンメルは、フランスを離れている間にゲッベルスによる宣伝で聞いた「完成目前の強力な要塞」が、まったく未完成と知って驚き、海岸防衛のさらなる強化をヒトラーに進言、彼はこれを全面的に承諾した。 ロンメルは防御兵器としての地雷にとり憑かれていた。ある視察旅行のとき、アルフレート・ガウゼ少将(ハンス・シュパイデル少将の前任のロンメルの参謀長)が野生の草花の咲き乱れる数エーカーの野原を指さして叫んだ。「すばらしい眺めではありませんか」すると、ロンメルはうなずきながら、「ノートを取りたまえ、ガウゼ」といった。「この場所には、1000個ほどの地雷が必要だ」 コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』ハヤカワ文庫、1995年。ISBN 4-15-050187-4。
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