ドイツ軍の状況判断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
攻撃開始3日目の12月18日、第6SS装甲軍と第5装甲軍の侵攻によってアメリカ軍内が恐慌状態に陥っているとの報告を受けた西方総軍司令官ルントシュテットは、北部に配置されている第15軍がアーヘンへ進撃する好機がきたとし翌19日に進撃開始を命じた。対峙していた第7機甲師団と第30歩兵師団(英語版)が増援として南下を始めており、手薄となったアーヘン地区の連合軍を一挙に包囲できると判断したからであった。しかしこれは、戦線を拡大することになって、まずはアントワープに向かって進撃することを優先するといったヒトラーの作戦方針とは異なるものであった。ルントシュテットが作戦開始わずか3日でこのような作戦の修正を行おうとした意図は、作戦開始2日目には第6SS装甲軍の先頭がミューズ川に達するという計画が達成できないばかりか、まだ25㎞しか進撃できていないことを知って、華々しい勝利の報告とは裏腹に作戦成功の見通しは到底持てないと判断したからと戦後に行われた連合軍の尋問で答えている。 ルントシュテットはヴォルフスシャンツェのヒトラーに第15軍の進撃開始の承認を申し出たが、ヒトラーは「勝利に向かって邁進している現段階において必要なことは別のことを考えるのではなく、第6SS装甲軍、第5装甲軍が開いたアメリカ軍の破孔を拡大することである」と第15軍を侵攻中の両軍団の予備に回して、あくまでもアントワープへの突進を優先させるとしてルントシュテットの進言を却下した。この作戦却下をルントシュテットに言い渡した国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル上級大将も作戦2日目で作戦の失敗を予感していたが、ヨードルもルントシュテットもヒトラーの意志に逆らうことはできず、この後もドイツ軍は作戦成功に懐疑的な司令官に指揮されながら作戦を続行することになった。
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