アメリカ合衆国恥辱の日とは? わかりやすく解説

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アメリカ合衆国恥辱の日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 18:50 UTC 版)

真珠湾攻撃」の記事における「アメリカ合衆国恥辱の日」の解説

この日、フランクリン・ルーズベルト大統領ホワイトハウスにて来賓30名と昼食会を行う予定であったが、疲労していたため、妻のエレノア・ルーズベルト通じて断り入れ書斎くつろいでいた。 真珠湾攻撃第一報届いたのが、ワシントン時間1941年12月7日午後1時40であった海軍長官フランク・ノックスより電話で「真珠湾空襲演習にあらず」と知らされたが、補佐官ハリー・ホプキンスがその情報信憑性疑っていたのに対してルーズベルトは「たぶん本当だ」「これはまさに日本人がやりそうな種類予期せぬ出来事だ」と述べている。その後ホワイトハウス外交政策顧問と軍の首脳集めて対策協議したが、ルーズベルトの「損害どのくらいか?」「日本軍次になにをやりそうか?」と矢継ぎ早質問対し、軍首脳らは十分な回答をするだけの情報を持たなかった。 真珠湾情報ある程度準備できそうな夜8時半各省長官集めて再度会議招集することを決めて一旦散会したが、ルーズベルト周囲の人間ルーズベルトほっとしていたと感じていた。妻のエレノアは「フランクリンは心配していたが、長い間そう見えていたよりは落ち着いて見えた。やっと賽が投げられたことを知ってほっとしたであろう。」と感じている。 9時ごろに全員到着する会議開始された。会議最中艦隊損害状況報告何回入ったが、ルーズベルトはその報告電話聞くたびに一同に聞こえるぐらい大きなうめき声をあげ、会議出席者ルーズベルト苦悶に強い印象植え付けられた。 ルーズベルトウッドロウ・ウィルソン政権8年間も海軍次官補を務め海軍並々ならぬ愛情抱いていた。自らもヨット操縦本格的に学んだ経験を持つホワイトハウス1のヨットマンで、船舶模型世界的なコレクターとして有名になるなど船と海を愛していた。そのルーズベルト自分手塩をかけて育ててきた海軍油断つけこまれ戦闘態勢もとれず満足に動くこともできずに係留されたまま爆弾落とされた、という事実を受け入れるだけでもみじめな思いであったようで、ノックス対し「たのむから、なぜ戦艦が列になって係留していたのかつきとめるんだ」と詰め寄ったのに対しノックスは「それが停泊やり方なのです」と答えるのがやっとであったその後会議議会重鎮らも合流したが、あまりのアメリカ軍のぶざまさに、その内の上院議員の1人が「我が軍軍艦真珠湾アヒルのように捕まるということがなぜ起こったのです?やつらは我々がパンツ下ろしているところをどうやって捕まえたんです?我が軍哨戒機はどこにいたんです?」と怒りの声を上げたが、ルーズベルトは「わからないんだよ、わたしにもね」と答えている。 会議の席でルーズベルト明日両院合同議会で行う予定演説草案について話し合われたが、ルーズベルトの案がそのまま採用された。ルーズベルト会議10時45分終わり自宅帰った後も、深夜1時まで草案手を加えていた。そして翌12月8日12時29分にルーズベルト議会国民向けて演説行った。「アメリカ合衆国にとって恥辱の日」とのフレーズ印象強いこの演説は、ルーズベルトコピーライターの力も借りずに完全に独力で書き上げた聴取率によればアメリカ国民6,000万人聴いたという、ラジオ史上もっとも聴かれ演説となったウィキソース汚名演説日本語訳あります。 「フランクリン・ルーズベルトの演説 (1941年12月8日)」を参照 ルーズベルト対日宣戦布告演説 連邦議会1941年12月8日。(3.1 MBogg/Vorbis 形式) この演説国民議会熱狂的に受け入れられた。劇作家ルーズベルト側近でもあったロバート・シャーウッド英語版)はこの演説聞いてルーズベルトが全アメリカ国民これほど完璧に代表していたことは2度となかった。」と振り返っている。その後も、アメリカ国内日本軍進攻対す恐怖蔓延するなか(#アメリカ本土上陸の恐怖ルーズベルトは『炉辺談話』としてラジオ国民語りかけた。 敵が、タイミング完璧に調整し見事な手際遂行して欺瞞見事な偉業成し遂げたことは認めていいでしょう。まったく卑劣な行為でしたが、ナチ流儀行われる現代戦争不愉快なのであるという事実に立ち向かわねばなりません。私たちこういう戦争好みません。巻き込まれたかったわけではありませんが、現にこうして巻き込まれ私たち持てるもの全て使って戦うのです。 ルーズベルト日本軍成功否定しなかったが、国民奮起促し団結呼びかけた。この談話国民恐怖ヒステリー和らげルーズベルト圧倒的に支持され続けたルーズベルト議会は、戦争準備並行して日本軍真珠湾攻撃許した責任追及開始した攻撃翌日には早くもルーズベルト直々の命により真珠湾攻撃について全面的な調査を行う委員会組織され委員会議長には最高裁判事オーウェン・ジョセフス・ロバーツが選ばれた。しかし、海軍長官ノックス攻撃数日後被害状況調査するためハワイ訪れた際に、キンメル辛辣に問い質しその後マスコミ取材に対して地上および海上部隊警戒していなかった」と明言したことから、ワシントンアメリカ上層部責任追及現地司令官に向ける方針であるのは明らかだったはやくも12月17日には、現地司令官であった海軍キンメル陸軍ショートは、調査委員会調査結果が出るまでという条件更迭された。その後ショートキンメルは、マスコミ報道不当にさらしものにされ、非難ワシントンから逸らすように仕組まれ調査戦争が終わるまで延々とつきあわされることになった委員会最終結論は「キンメルショート2人は、ワシントンからの警告無視し十分な連絡取らず哨戒最大限活用せずあらゆる可能性備えず、攻撃撃退のために保有戦力を展開せず、さらに提供され情報重要性認識しなかった。」であった。これは2人司令官として資質がなかったと言ってるも同然であり、議長ロバーツはさらに2人に対して職務怠慢」と断じたが、これは他の委員反対により「判断ミス」に止められた。 この決定その後覆ることはなかったが、キンメル息子エドワード1984年弁護士引退すると、父親の名誉回復運動を開始し、ロナルド・レーガン政権下の1987年には海軍省に最高階級(大将)の回復嘆願行ったが、キンメル日本攻撃予見できたとする歴史家ゴードン・ウィリアム・プランゲ研究結果元に嘆願却下している。その後エドワード諦めことなく名誉回復運動継続ショートの孫のウォルター・ショート運動参加し1990年にはアナポリス同窓生評議員会全員一致キンメルの名誉回復議決しレーガンの後のジョージ・H・W・ブッシュ大統領救済措置講じるように促したが、黙殺された。その後キンメルショート擁護する著作次々と出版され両者擁護気運盛り上がる中でビル・クリントン政権下の1995年4月エドワードらの陳情を受け議会アメリカ国防総省再調査依頼したが、7ヶ月再調査後国防総省は両司令官死後の地位信用回復要請却下したその際国防次官のエドウィン・ドーンは「司令官としてキンメルショート両名には責任があった」と簡明に説明をしている。その後クリントンに対して議会より継続して名誉回復要請なされたが、政権最後までその要請に従うことはなく、次のジョージ・W・ブッシュ政権時に次第に名誉回復動き収束していった。 キンメル後任太平洋艦隊司令官には、当時56歳航海局長チェスター・ニミッツルーズベルト直々に指名したルーズベルトノックスに「ニミッツに、とっとと真珠湾行って戦争が終わるまでそこにいろ、と言え」と命じその後自らニミッツオフィス電話しニミッツ太平洋艦隊司令官への任命直接伝えたニミッツ1941年前半にも太平洋艦隊司令長官への任命ルーズベルトから打診されていたが、50名の先任がおり、先任から恨みを買い職務を果たすことが困難であるという理由辞退した経緯があった。しかし、戦争始まった今となっては名簿順番気に掛ける者もいないと思われた。ニミッツ妻より「あなたはいつも太平洋艦隊指揮したがっていたものね」と司令長官就任祝福されたが、「艦隊海の底なんだよ。これはきっと誰も知らないが、お前に話しておかなければならん」と返している。 ニミッツ1941年クリスマスの日に真珠湾着任したキンメルとの引き継ぎ行い真珠湾被害状況確認した確かに日本軍攻撃は凄まじく、アメリカ海軍米西戦争第一次世界大戦の3倍の死傷者被り、約30トン艦船戦闘不能になり、太平洋戦域2/3航空機戦闘不能になっていたが、ニミッツは「もっと甚大な損害もたらせもおかしくなかった」と分析し(#アメリカ側の評価)、ニミッツ指揮下でアメリカ海軍再建されていくこととなった。(#アメリカ軍の再建

※この「アメリカ合衆国恥辱の日」の解説は、「真珠湾攻撃」の解説の一部です。
「アメリカ合衆国恥辱の日」を含む「真珠湾攻撃」の記事については、「真珠湾攻撃」の概要を参照ください。

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