アメリカ合衆国対カポネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:44 UTC 版)
「アル・カポネ」の記事における「アメリカ合衆国対カポネ」の解説
フーヴァー政権下で財務長官アンドリュー・メロンの号令のもと、所得税の脱税と、ボルステッド法違反の両面からカポネに対する追及が進められた。特に後者で密造酒関係の調査を行なったエリオット・ネスのチームは「アンタッチャブル」と呼ばれ世間の耳目を集めたが、最終的に脱税を主としてカポネは告発された。 1931年10月7日にアル・カポネの脱税裁判が始まった。裁判ではかつてカポネ帝国の会計係だったフレッド・リースが証言台に立ち賭博場のことなどを証言した。アルは合計11年の懲役、罰金8万ドルの有罪判決を受けた。刑を宣告されたとき、自分が予想していたよりも過酷な宣告だったため、微笑は苦いもので今にも怒りが爆発しそうだったという。 アルは裁判が始まる前に、陪審員候補者のリストを入手して1人1,000ドルで買収した。しかし、このことはアルの一味だったエドワード・J・オヘアが事前に密告したため、開廷するや陪審員を入れ替えられてしまい、目論見が外れた。アル・カポネは事前に陪審員を買収したということもあって、彼の弁護士は裁判での弁護を怠っていたといわれている。
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