アメリカ側の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 21:55 UTC 版)
「桜花 (航空機)」の記事における「アメリカ側の評価」の解説
沖縄戦でアメリカ軍は上陸初日に沖縄の北・中飛行場を占領したが、北飛行場の北東側の斜面に掘られた掩体壕の中から桜花が10機鹵獲された。既に概要の情報を掴んでいたアメリカ軍であったが、鹵獲した桜花を調査し、桜花(この時点ではGizmoと呼ばれていた)が人間が操縦するロケット爆弾であるという事が間もなく判明すると、自殺を禁じるキリスト教的な価値観より、自殺をするような愚か者が乗る兵器という意味合いで「BAKA(日本語の馬鹿の音をそのままアルファベット表記)」というコードネームが付けられた。その運用思想に嫌悪感を覚えたアメリカ軍であったが、兵器としての有効性に対しては強い懸念を示し、早速鹵獲した桜花を本国に送り、アメリカ技術航空情報センターで徹底した調査が行われている。この報告書を戦後に見た桜花設計技術者の三木忠直に「桜花設計時に作った設計書より遥かに詳しい」と言わしめたほどに詳細な調査であった。 その後に桜花が駆逐艦マナート・L・エベールを撃沈するとその懸念が現実化する事となり、アメリカ軍はマナート・L・エベールのオールトン・E・パーカー艦長と副長と砲術長に25ページに及ぶ長文の詳細な戦闘記録を作らせ、TOP-SECRET扱いとし徹底的に分析している。その報告書には「それは今まで目にしたどんな飛行機よりも速かった。プロペラやエンジンは見かけられなかったので、この機体はジェットかロケットを推力にしているものと思われた。」と記述してあった。マナート・L・エベール同様に桜花が命中したもののあまりの威力に艦体を突き抜けた為、撃沈を免れたスタンリー (駆逐艦)の砲術長は「このミサイルが艦艇装備の自動火器の射程内まで接近しても、何物もその突進を停止させたり、その方向を変換させるのは無理である」と述べている。 当時のアメリカ海軍は、桜花をもっとも危険な兵器で、アメリカ軍の砲手やパイロットらにとってこれまでに遭遇したもっとも手に負えない攻撃目標であると考えた。 アメリカ軍は詳細な特別攻撃隊対策を制定し全軍に徹底したが、その中でも桜花は大きく取り上げられ、下記の事が徹底されている。 人間という最高の制御、誘導装置を備えた、潜在的に最も脅威となる対艦攻撃兵器である。 桜花母機及び、潜在的な母機となりうる双発機を最優先で攻撃すること。 サイズが小さく、胴体や翼は合板製で近接信管は半径10〜15mでしか作動しない、また速力が高いため、撃墜には従来の航空機と比較して4倍の弾量が必要である。 レーダー反射は戦闘機の約3割の大きさである。 アメリカ合衆国海軍省では、従来の兵器では一度射出された桜花に有効な迎撃ができないと考え、桜花に対抗する為にターボ・ジェット機の開発を急がせた。アメリカ海軍初のジェット艦載戦闘機FH-1 ファントムが完成したが、終戦までに実戦配備は間に合わなかった。 桜花がアメリカ軍の艦隊への攻撃を行っているのと同時期に行われた日本本土空襲では、1945年7月以降の第21爆撃集団作戦任務報告の中に桜花を目撃または攻撃を受けたという報告が見られる。中には、「一式陸攻が桜花を発射して300ヤードまで接近した(作戦任務第249号、7月3日~4日の姫路大空襲)」「桜花を3〜6機を目撃(作戦任務第271号、7月16日〜17日の沼津大空襲)」「1機の桜花をB-29が撃墜して爆発した(作戦任務第249号、7月26日〜27日の徳山空襲)」といった具体的な記述もあるが、日本側の記録にはB-29迎撃に桜花を用いた記録は無く、これらが何であったかは不明である。 またアメリカ軍は以下の様に桜花の今後の発展も予測していた。 シンプルで経済的な構造なので、大量生産が容易と思われる。月産200機の生産が可能と推定される。 桜花の運用を制限する要因は母機となる双発機の数となる。 その為、今後桜花が地上や水上艦から使用できるような改造をされる可能性が高い。 桜花は様々な形の翼が装着できるような基本構造になっており、今後、より長い航続距離、より良好な操縦性、より低い速度を持った桜花が登場する可能性が高い。 ジェットエンジンを搭載し地上や艦船から発射される桜花の登場の可能性がある。 照明弾があれば、艦船のシルエットを目標することにより、魚雷型の桜花による夜間攻撃は十分可能である。 戦後、アメリカ軍は桜花作戦全体に対しては「この自殺兵器の使用は成功しなかった。」との総括をしており、その原因としては「母機の脆弱性が制限要素となった。」と分析している。また、第一回神雷桜花部隊野中隊を全滅させた第58任務部隊の第1空母群司令ジョゼフ・J・クラーク少将は「桜花の失敗の要因は、一発勝負の兵器であり、パイロットが事前に十分な訓練ができなかったことである。」とも指摘している。 作家サミュエル・モリソンは、桜花について「小型なことと、とてつもないスピードのため、桜花はわが軍の艦船に対する最悪の脅威となった。それは、ロンドンを襲ったドイツの誘導ミサイルにほぼ匹敵する脅威となった。」と述べている。作家ジョン・トーランドは、当時のアメリカ軍艦隊全体の状況として「桜花を『BAKA』と蔑んでみても、アメリカ軍艦隊全体に広まった恐怖は決して和らぐことはなかった。」と述べている。当時従軍記者だったハンソン・ボールドウィン(英語版)は桜花は人間が誘導装置となった誘導ミサイルであって、戦後にミサイルの完成によって現実化した水上艦艇に対する脅威を予見したものであり、その脅威を的確に理解したアメリカ軍は、特攻機阻止には十分な威力がなかったMk.IV 20 mm 機関砲とボフォース 40mm機関砲の大部分を戦後になってアメリカ海軍艦艇から取り外し、特攻対策として新規開発されたMk 33 3インチ砲を装備するようになったと指摘している。
※この「アメリカ側の評価」の解説は、「桜花 (航空機)」の解説の一部です。
「アメリカ側の評価」を含む「桜花 (航空機)」の記事については、「桜花 (航空機)」の概要を参照ください。
アメリカ側の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 16:59 UTC 版)
戦争当時、真珠湾攻撃に対してはさまざまな視点から多くの評価がなされていたので列挙する。
※この「アメリカ側の評価」の解説は、「真珠湾攻撃」の解説の一部です。
「アメリカ側の評価」を含む「真珠湾攻撃」の記事については、「真珠湾攻撃」の概要を参照ください。
- アメリカ側の評価のページへのリンク