アメリカ側の見方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 03:27 UTC 版)
「藤村義朗 (海軍軍人)」の記事における「アメリカ側の見方」の解説
OSSの文書で藤村の和平工作に言及したものは、藤村が最初の電報を打つ前日の6月4日付でOSSから統合参謀長会議に送られた報告が最初である。この中では、藤村が海軍中央と直接に秘密の電信接触を持ち、信頼を得ていること、海軍のサークルは和平を指向しており、その条件が天皇の保持であること、また日本が食糧を自給できず米と砂糖を朝鮮に依存しており、食料輸入のための商船隊の確保が必要だと主張していることを伝えている。次いで6月22日には同じく統合参謀長会議宛に、「ドイツ人権威」(ハックを指すとみられる)からの情報として、再度「日本からは降伏に先立つ天皇保持の確認要求」が出るだろうと藤村が主張したことが紹介され、ダレスが降伏交渉をおこなった北イタリアのドイツ軍にどのような条件を認めたかを藤村が知りたがっていると記している。なお、これらには、藤村と直接接触した話や藤村の電報にある「日本海軍の高級士官をスイスまで責任を持って運ぶ提案」という内容は出てこない。ゲベルニッツが7月5日付でダレスに送ったと思われるメモには、日本およびスイス駐在の日本の公人についてHという協力者(ハックとみられる)から入手した情勢コメントが記されている。この中でHは加瀬公使を「三流の人物」、岡本陸軍中将を「知性がなく、勇気に乏しい」、国際決済銀行の北村理事を「知的だが日本への影響力はない」などと評する中で、藤村を「在スイスの日本公人の中でそれなりの才幹をもつただ一人」と高く評価していた。ただし、この文中では藤村が海軍大臣宛の電報を「Hの教唆(instigation)によって送った」と記しており、H(ハック)が藤村の工作を誘導していたことも示されている。 しかし、前記の通り藤村の活動が海軍中央から事実上差し止められ、一方岡本中将・加瀬公使 - 国際決済銀行関係者のルートの活動が活発化すると、報告の中でも藤村の活動は岡本・加瀬ルートの次位の扱いとなる。8月2日付でOSSからホワイトハウスに送られたレポートには、岡本・加瀬ルートに関する報告のあとに藤村のルートの報告も(ハックと思われる「スイス在住の極東の消息に通じるドイツ人」からとして)あげられているものの、そこでは藤村が「即時交戦停止」をうながす7通の長い電報を過去2ヶ月間に東京の上官に送ったが、その返答は海軍はもはや「単独行動」を起こせず、藤村に対して「東京からの命令なしに行動を起こすな、ただし"極めて貴重な接触"は維持せよ」という返事があったと記している。外相にポツダム宣言への考察を伴った電報を打った加瀬らへの言及に対し、藤村はすでに活動を封じられた状況を伝える内容となっていた。 ダレスとゲベルニッツが戦後に記した回想録『静かなる降伏』(邦訳は1967年、早川書房刊)では、国際決済銀行関係者を通じた和平工作には詳しい言及があるが、藤村については(「スイスで日本の陸海軍スポークスマン(中略)から接触を受けた」とあるものの)具体名などはまったく記されていない。
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