アメリカ側の目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 22:54 UTC 版)
当時アメリカは、清をはじめとする東アジアとの貿易のために太平洋航路を必要としていた。当時の蒸気船では十分な燃料を積み込むことはできず、補給のための寄港地として日本の港が必要であった。水、食料についても補給が必要であり、特に、冷蔵庫もしっかりした保存食もない時代において、脚気や壊血病の防止、また乗組員の満足できる味と量の食事のためには生野菜や肉類の補給が必要であった。また、北太平洋での鯨油を目的とした捕鯨を行う上で、国交がない状態では漂着した自国の捕鯨船員の引渡しもままならず、不便であった。このような背景から、ペリーの来航目的には通商交渉も含まれてはいたものの無理な交渉は行わず、人身保護と補給を主目的とした和親条約が締結されることとなった。下田と函館が開港場に選ばれたのも、補給の利便性を重視したものであった。
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