アメリカ側の教訓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 17:47 UTC 版)
「ニュージョージア島の戦い」の記事における「アメリカ側の教訓」の解説
米軍のニュージョージア島上陸からムンダ飛行場占領までの経過は順調なものではなく、7月4日までに占領するという事前計画より多くの日数と損害を要することになり、戦闘の途中で占領部隊司令官の更迭も行われた。ジャングルを通って敵飛行場に接近し占領するという困難な問題(ガダルカナル島で日本軍が解決できなかった問題)を経験した米軍はこの苦い経験により、その後の作戦計画を次のように変更した。 日本軍の防備が厚いコロンバンガラ島の飛行場を占領する代わりに、防備が薄いベララベラ島を占領して飛行場を建設する。 ブーゲンビル島の日本軍飛行場を攻略する代わりに、同島の別の場所(タロキナ岬)に飛行場を建設する。 また、1943年8月に統合参謀本部が発表した指令書は「ラバウルは占領するよりもむしろ無力化すべきである」と述べている。 歴史家のアントニー・ビーヴァーは「アメリカ軍にとって、ニュージョージア島をめぐる攻防戦は、その慢心を一気に冷やす経験だった」と述べた。
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