アメリカ合衆国憲法制定に関する仕事
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「オリバー・エルスワース」の記事における「アメリカ合衆国憲法制定に関する仕事」の解説
1787年5月28日、エルスワースはフィラデルフィアのアメリカ合衆国憲法制定会議に、コネチカット邦の代表としてロジャー・シャーマンやウィリアム・サミュエル・ジョンソンと共に加わった。55人の代議員の半分以上が法律家であり、そのうち8人はエルスワースやシャーマンを含み、法的話法に精通した判事としての経験があった。エルスワースは特に憲法から司法審査を除外することに関わって重要な役割を果たし、これが後の1789年司法権法という形で発効された。 エルスワースは6月20日から始まった手続で行動的な役割を果たし、憲法の権威の下で自国を識別するために合衆国という呼び名を使うことを提案した。「合衆国」という言葉は既に独立宣言や連合規約で使われてきており、トマス・ペインの『アメリカの危機』(The American Crisis)にもあった。単一の国体であるよりも、共同して動く連邦というところを強調し続けるために、以前からの言葉遣いを保持することがエルスワースの提案だった。3週間前の5月30日に、バージニアのエドムンド・ランドルフが、最高立法府、行政府および司法府からなる「国民政府」を作るという動議を出していた。エルスワースはランドルフの三権分立という考え方には同意したが、「国民政府」という言葉を攻撃する動議を出した。この日から「合衆国」という言葉が会議の席で政府を表す公式の呼び方となり、それ以降も有効なままとなっている。正式名の「アメリカ合衆国」は既にペインが使っており、これを憲法に取り入れることは、ガバヌーア・モリスが憲法の最終稿を作ったときに行われた。 エルスワースはコネチカット案の通過に大きな役割を果たした。コネチカット妥協案ともしばしば呼ばれる大妥協案の討議の間、仲間のコネチカット邦代表ロジャー・シャーマンと共に、上院議員は憲法第1条第3節に示されているように各邦議会で選ばれるとした二院制を提案した。エルスワースの妥協案は会議の席では採択されたが、かなり後の憲法修正第17条で、下院議員を選ぶ際に使うものに類似する一般選挙で上院議員を選ぶ方法に差し替えられた。 コネチカット案の成立を得るためには、北部の小さな邦の連携に加えて、南部の3邦、ジョージアと両カロライナの支持を得る必要があった。それゆえに、エルスワースが奴隷人口を勘定に入れる5分の3妥協に賛成し、海外の奴隷貿易廃止に反対したのも驚くにはあたらない。自身は奴隷を所有していないことを強調し、8月21日と22日の2回、会議の場で演説を行い、奴隷制は邦の権限に限定される問題であるとして擁護し、妥協案が会議で認められた。エルスワースの意図はおそらく、会議の完全な崩壊を避けるために、コネチカット案の承認を得るのに必要な南部邦の支持を確保することだった。奴隷制についてはジョージア、ノースカロライナおよびサウスカロライナと協力することで、コネチカットを含む北部の邦が必要な過半数を確保し、会議の崩壊を救った。 エルスワースは、ジェイムズ・ウィルソン、ジョン・ラトリッジ、エドムンド・ランドルフおよびナサニエル・ゴーラムと共に、会議で既に成立した決議に基づく憲法の初稿を準備する詳細委員会の委員を務めた。会議の他の検討項目は7月26日から8月6日まで中断され、その間に詳細委員会が任務を果たした。ウィルソンとランドルフの手書きによって会議に提出された初稿の写し2部が憲法本文と共に残されている。しかし、その編集におけるエルスワースの役割は、概して8月6日から23日までに会議に提出された53の投稿によって示されており、8月23日にエルスワースは事業上の理由で会議を離れた。ジェームズ・マディソンがその議事録に列挙しているように、この16日間にエルスワースより多く発言した者と言えば、マディソンとガバヌーア・モリスの2人だけだった。 エルスワースは8月の終わり近くで会議から離脱し、憲法最終稿に署名しなかったが、「土地所有者の手紙」を書いて憲法の批准を促進した。またコネチカットにおける合衆国憲法批准会議でも重要な役割を果たし、司法審査権が連邦主権を保証するものとしてその有効性を強調した。エルスワースとウィルソンが詳細委員会の委員として仕えながら、憲法初稿で司法審査権については言及していないが、エルスワースによる1789年の司法権法成立のちょうど1年前に、批准会議でその中心的重要さを強調したのは偶然以上のものに見える。
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