鈴木貫太郎内閣組閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 08:24 UTC 版)
太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦が自明なものとなっていた1945年(昭和20年)4月、枢密院議長の鈴木貫太郎(元侍従長、元海軍軍令部長、元連合艦隊司令長官)に大命降下された。 前政権の小磯内閣の最末期、本土決戦へ向けた第1総軍新設に際して、三長官会議が小磯國昭首相に無断で杉山元・陸相をその総司令官として閣外に転出させ、阿南を後任の陸相とすることを決定したことに対し、予備役陸軍大将の小磯首相が現役復帰による陸相兼任を要求して容れられず、内閣総辞職となった経緯がある。もはや、かかる難局で陸軍大臣の任を全うできるのは、上下に人望の厚い阿南の他になく、杉山ら陸軍首脳が阿南を外地から呼び戻していたのも、次期陸軍大臣を予定してのことであった。 しかし、阿南自身は「自分は空中で討死する。絶対に大臣などはお断りする」と陸軍内の阿南を陸軍大臣に推す動きに拒否感を示していた。陸軍人事局長の額田は、阿南の強硬な拒否で、第15方面軍司令官兼中部軍管区司令官河辺正三大将などを陸軍大臣に推す動きがあっていることに危機感を覚えて、かつての上司であった阿南に「かねてより心中反対であった特攻隊を次々と送り出されている心情はよくわかります」「しかし、自ら飛行機に乗って来攻する敵機の中に突入されるよりも、この重大局面に際し身を挺して大臣をお受けするのが真の忠節ではありませんか」と説得している。 内閣総理大臣に就任した鈴木が組閣にあたって真っ先に訪れたのは陸軍であった。鈴木は前陸相の杉山元・元帥に対し単刀直入に「阿南惟幾大将を入閣させてほしい」と申し出た。そこで杉山は三長官会議で協議し、阿南を入閣させるため以下の3つの条件を提示した。 飽くまでも大東亜戦争を完遂すること 勉めて陸海軍一体化の実現を期し得る内閣を組織すること 本土決戦必勝の為、陸軍の企図する施策を具体的に躊躇なく実行すること 鈴木はこの条件を快諾した。陸軍は「鈴木首相はピエトロ・バドリオだ」となどと、鈴木がイタリア王国のバドリオ政権による無条件降伏のように終戦を画策していると警戒していたので、そのような内閣に陸軍が誇る阿南を出すわけにはいかないし、出せば強硬派の青年将校らが納得しないと考えてこのような条件を提示したものであった。杉山はあまりにあっさりと鈴木が快諾したことに拍子抜けし、わざわざ聞き直したほどであったが、鈴木は「大丈夫だ」と再度応諾している。 鈴木が阿南を指名したのは、侍従長時代に侍従武官であった阿南の昭和天皇に対する忠誠心と誠実な人柄を知って信頼していたこと。また、鈴木は大命降下の際に、昭和天皇が戦争終結を望まれていることを感得し、「速やかに大局の決した戦争を終結して国民大衆に無用の苦しみを与えることなく、またこれ以上の犠牲を出すことのなきよう、和の機会を掴む」との方針を心中深くに秘めていたが、阿南であれば、昭和天皇のご意志を理解し、それを至上のものとして奉仕してくれると確信していたことと、和平の課程で暴発する懸念もある陸軍を最後までまとめることができる力量をもっているのは阿南しかいないと評価していたことによると推測されているが、鈴木自身は阿南を推した理由について書き残していないので、真相は不明である。 鈴木はその足で阿南と面談し、陸軍大臣就任を直接要請した。これまでは陸軍大臣就任に難色を示していた阿南であったが、敬愛していた鈴木の要請を断ることはなくその場で快諾している。陸軍が出していた3条件について、阿南自身はこれらが実現困難なことはわかっており、むしろ機を見て有利な終戦をはかるべきと考え、かつて第2方面軍司令官時代に当時の外務大臣であった重光葵に終戦の建議を行ったこともあった。陸軍大臣拝命時の阿南の考えについては、陸軍次官として阿南を補佐した若松只一中将によれば、「阿南の悲願は絶対国体護持で、鈴木の和平方針に異存はなかったが、敵に一大打撃を与えて、国体護持の安心を得て終戦に導く」というものであったという。 鈴木はさらに、「早期講和」のため、首相の東條と衝突して外務大臣を辞任していた和平派の東郷茂徳を「戦争の見透かしはあなたの考え通りで結構であるし、外交はすべてあなたの考えで動かしてほしいと」と三顧の礼で外務大臣として迎えている。また下村宏内閣情報局総裁のように「終戦のために就任する。そのためには殺されてもよい」という覚悟で拝命した者もいて、心中密かに終戦の決意を秘めた閣僚を内在する内閣となった。 阿南は陸軍大臣に着任すると、しばしば局長や課長らを集めて会食を行い、忌憚のない意見を聴取した。局長らは何でも思うところを直接大臣に意見できるため、そのせいもあって、物忘れが激しくなっていた杉山前大臣のときより、陸軍省内の空気はかなり改善されて、阿南への信頼が高まっていった。
※この「鈴木貫太郎内閣組閣」の解説は、「阿南惟幾」の解説の一部です。
「鈴木貫太郎内閣組閣」を含む「阿南惟幾」の記事については、「阿南惟幾」の概要を参照ください。
- 鈴木貫太郎内閣組閣のページへのリンク