鈴木貫太郎侍従長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:22 UTC 版)
鈴木貫太郎(予備役海軍大将)は、天皇側近たる侍従長、大御心の発現を妨げると反乱将校が考えていた枢密顧問官の地位にいたことから襲撃を受ける。 叛乱当日は、安藤輝三大尉が襲撃部隊を指揮し、第1小隊を永田露曹長が、第2小隊を堂込喜市曹長が、予備隊を渡辺春吉軍曹が、機関銃隊を上村盛満軍曹が率い、麹町区(現:千代田区)三番町の侍従長公邸に乱入した。鈴木は、永田・堂込両小隊長から複数の拳銃弾を撃ち込まれて瀕死の重傷を負うが、妻の鈴木たかの懇願により安藤大尉は止めを刺さず敬礼をして立ち去った。その結果、鈴木は辛うじて一命を取り留める。襲撃部隊の撤収後、鈴木たかは昭和天皇に直接電話し、宮内省の医師を派遣してくれるように依頼した。この電話が襲撃事件を知らせる天皇への第一報となった。 安藤は、以前に鈴木侍従長を訪ね時局について話を聞いた事があり、互いに面識があった。そのとき鈴木は自らの歴史観や国家観などを安藤に説き諭し、安藤に深い感銘を与えた。安藤は鈴木について「噂を聞いているのと実際に会ってみるのでは全く違った。あの人(鈴木)は西郷隆盛のような人で懐が大きい人だ」と言い、何度も決起を思い止まろうとしたとも言われる。 その後、太平洋戦争末期に内閣総理大臣となった鈴木は岡田総理を救出した総理秘書官迫水久常(鈴木内閣で内閣書記官長)の補佐を受けながら終戦工作に関わることとなる。鈴木は生涯、自分を襲撃した安藤について「あのとき、安藤がとどめをささなかったことで助かった。安藤は自分の恩人だ」と語っていたという。
※この「鈴木貫太郎侍従長」の解説は、「二・二六事件」の解説の一部です。
「鈴木貫太郎侍従長」を含む「二・二六事件」の記事については、「二・二六事件」の概要を参照ください。
- 鈴木貫太郎侍従長のページへのリンク