軍令部条例及び省部互渉規定改定とは? わかりやすく解説

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軍令部条例及び省部互渉規定改定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 04:45 UTC 版)

寺島健」の記事における「軍令部条例及び省部互渉規定改定」の解説

1933年昭和8年1月伏見宮海軍軍令部長大角岑生海相閑院宮参謀総長荒木貞夫陸相の四者は「兵力量の決定に就て」という名の文書署名を行う。この文書には兵力量は「参謀総長軍令部長立案する」と記され加藤寛治から枢密顧問官金子堅太郎にも送付されている。この内容は上述した憲法12条に対す海軍従来考え方覆し参謀本部同様の立場に立つものである同年3月軍令部海軍省軍令部条令及び省部互渉規定改定提案した当時の省部主幹部以下のとおりで、海軍省寺島井上条約派軍令部伏見宮高橋南雲艦隊派分類される海軍省 大臣 大角岑生海兵24期) 次官 藤田尚徳海兵29期) 軍務局長 寺島健海兵31期) 第一課長 井上成美 (海兵37期) 軍令部 軍令部長 伏見宮博恭王海兵18期相当) 次長 高橋三吉海兵29期) 第一班長 嶋田繁太郎海兵32期第二課長 南忠一(海兵36期改定案は多岐にわたるが、重要な点海軍軍令部長の「国防用兵に関することを参画親裁の後之を海軍大臣に移す」との規定を「国防用兵計画を掌り用兵の事を伝達す」に変更、また「用兵」の範囲は省部互渉規定定めこととし、その互渉規定でも海軍省から軍令部権限を移すことにあった。なおこの提案軍令部起案すらないのである改定案は軍務局河野千万城持ち込まれ上司第一課長井上成美が自ら処理にあたり、南雲忠一との交渉改定案を認めなかった。この井上態度寺島藤田両人了解の上である。井上反対理由大きく3点分かれており、クラス会限りとして著した思い出の記」から引用する。 一 海軍大臣統帥一部に関することを掌り、それに関する輔弼憲法上の)の責任持っておる。之は軍の特殊性に基づく軍部大臣特有のもので、大臣国務大臣として責任を果たす為、当然のものである二 軍大臣掌理する統帥に関する国務は、極めて深い専門知識経験とを必要とする。従って軍部大臣は是非共軍人なければならない。尚、吾々は吾々の尊敬する先輩大臣戴いてこそ職務張合いもあるが、海軍の事など判る道理もない政党人などに大臣来られて、喜んでその下で死ねるかっ!!というのは理屈ぬきの吾々の強い感情である。軍令部要求如く大臣権限大幅に縮小することは、文官大臣論に有力な武器与えることになる。 三 軍部長大臣部下ではない。又憲法上の機関でもないから、憲法上の責任をとるとがない。(結構な御身分で)法の上での責任とらない。そして大臣監督権及ばない人に非常に大きな力を持たせることは、憲法政治原則反するし、又、危険である。 この第三項は、井上特有のものではなく海軍内に基本的に存在していた考え方であった6月交渉寺島嶋田に移るが、寺島強硬な態度反対し、改定項目二、三同意したのみで、残り全項目を拒否した。なお寺島の言によれば伏見宮対し制度間違いのない責任体制を持たねばならぬ」と述べ伏見宮不興買っている。事態膠着し交渉藤田次官高橋次長大角海相高橋部長代理段階移して解決には至らず最後7月大角海相伏見宮海軍軍令部長会談基本的に妥結している。こうして海軍伝統であった海軍省軍令部対す優位崩れた。この妥結対し海相経験者斎藤実首相海軍軍令部長経験者鈴木貫太郎侍従長は不満を表明した大角海相の上奏を受けた昭和天皇海軍省所掌事項への軍令部過度介入懸念し大角からその回避ができるかを書類提出させている。 同期生長谷川清寺島の離現役について「物事全体をよく見極めることが大切であって改革当面仕事対す便宜だけで決定すべきではない。人事も同様である」と語った同じく同期生寺島後任練習艦隊司令官となった松下元は、その栄転を喜ばず「クラス逸材寺島急に罷免されたことについて、何だ普通でないものを感じます」と語った寺島はこの妥結後に原田熊雄対し加藤寛治金子堅太郎大角伏見宮動きなどの裏事情語り改定食い止めようとした旨を語っている。しかし寺島最後まで抵抗続けた井上説得図ってもいる。寺島言葉は「今度ある事情により、この軍令部最終案により改正実行しなければならないことになった。こんなバカ軍令部案によって制度改正をやったという非難局長自ら受けるから、枉げてこの案に同意してくれないか」というものであった井上直属上司たる寺島言葉にも妥協しなかった。 9月寺島練習艦隊司令官転出した。この職位海軍兵学校などを卒業した少尉候補生実務訓練にあたる顕職である。しかし翌月軍令部出仕命じられ翌年3月52歳予備役編入された。この際寺島は「男子由来尚潔清 毀誉褒貶任人評 請見猛夏殷霽月光風天地清」という漢詩残した寺島に関する人事満州事変際し日米戦争を招く危険を考慮して陸軍動き反対した谷口尚真ロンドン会議において軍縮条約賛成派であった山梨勝之進左近司政三堀悌吉条約派将官予備役編入と同じ動きであり、いわゆる大角人事一環である。寺島の離現役国会で問題になり、一連の人事不審抱いた中澤佑は、山梨勝之進事情聴いている。山梨大角海相対す伏見宮東郷平八郎圧力挙げ、「東郷さんの晩節のために惜しむ」と語った

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