軍令部第五課とは? わかりやすく解説

軍令部第五課

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:31 UTC 版)

実松譲」の記事における「軍令部第五課」の解説

軍令部第三部第五課の米国班長補され海大教官兼務した。着任当時第五課は課長含めた人員が4名、内1名は他の職務との兼任者であり、人員の不足は明らかであった人事局士官不足している状況から正規士官の配員に難色示しており、短期現役士官予備士官によって充員が行われる。人員拡充引き続き行われ1944年昭和19年7月には士官以外の者を含め54となっている。こうして対米情報作業本格化したのはすでにサイパンの戦い終結する時期で、実は「海軍腰だめ戦争した」とその情報軽視批判している。第五課で実が行った対米情報作業捕虜から情報を得ることも方法としていたが、主として統計的手法用いて米側の企図判断するものであった基礎となる情報は、米国ラジオ放送中立国経由入手したものであり、これを解析して第五課が提供する対米情報連合艦隊司令部作戦直接役立っていた。実米軍の主攻勢方面的確に言い当てている。主攻勢方面については3つの可能性考えられていたが、実は以下のように主張していたのである日米決戦であったマリアナ沖海戦中部太平洋生起し軍令部作戦課員であった源田實は実のこの判断を「さすがに的確」であった述べている。 米軍は今厖大極まる艦艇建造推進して居り、その主力は、エセックス型の航空母艦である。米軍がこの有力な母艦部隊遊ばせておくはずはない。しかし、大機部隊全幅利用しようとすれば天地気象及び作戦海面広狭等から考えてみるに、中部太平洋方面以外に場所はない。従って、彼は機動部隊整備完了次第我が内南洋に対して攻勢開始するであろう。 — 源田實 海軍航空隊始末記より引用第五課が作成した対米情報はほぼ正確なもので、米軍暗号解読諜報組織存在疑い戦後に実問い詰めている。実その手法説明したが、米軍士官理解超えていたという。この際らが作成し米軍士官説明求めた対日作戦米地上部配備推定要図』は"血みどろ不断の努力結晶"であった一方、実アメリカ情報を得る一環として尋問目的とした捕虜収容施設である横須賀海軍警備隊植木分遣隊通称大船収容所)の運営にも深く関与した。実自身戦後1974年、『別冊週刊読売9月号に「大船収容所始末記」という手記寄せている。それによると、「現実捕虜目の前にしてなんの情報得られないのも残念な話である。なんとかして彼らを利用したい」という理由でこの施設設置された。実手記の中で「捕虜からバカにされるような尋問者は、とても有用な情報入手できない」「情報提供させるためには、まず第一に捕虜立場理解することである。(中略)矢折れ尽きて敵の軍門に降ることを、彼らはあえて異としない。だから、われわれとは本質的に違う”捕虜心理”をよく念頭におき、彼らに接し、彼らを遇することが必要であろう」と記している。大船収容所で実尋問受けたグレゴリー・ボイントンが「(実の)物腰は非常に穏やかであった」と戦後回想記している一方で収容所長の海軍少尉は「黙秘する捕虜への殴打食事抜きなどを実から命じられた」と戦後証言している。施設への収容中国際法上正式な捕虜の扱いをせず、尋問終了後陸軍管轄する正式な収容所移されたが、移送判断は実委ねられていた。

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