昭和天皇の見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 08:03 UTC 版)
1933年(昭和8年)8月2日、金子総裁が明治天皇紀の編修終了につき昭和天皇に奏上した。その際、日清戦争や日露戦争が起こる前まで明治天皇が開戦にあまり賛成でなく平和的解決を強く望んでいたという記述について、「こういうことを今日御年代記に書くことは面白くございませんから」という理由で、一般に頒布する公刊本に書くのをやめたいと奏上した。 この当時は、二年前に陸軍が満州事変を起こし、その結果この年に国際連盟を脱退するなど、周辺国との軍事的緊張が高まった非常時であった。 金子総裁が内奏を終えた後、昭和天皇は鈴木貫太郎侍従長を呼び、「金子が今日省こうと言っている、明治天皇が戦争になることをお好みにならず平和裡に解決したいという思し召しこそ、天皇の平和愛好の御精神が現われていて、これこそ後世に伝うべきであり、むしろ御年代記の中に特に書き入れた方がいいんじゃないかと思う」と漏らした。のちに組織された公刊明治天皇御紀編修委員会は、委員長に宮内大臣を充て、金子を委員から外した。同委員会は公刊用の稿本をほぼ完成したが、結局公刊しなかったため、当該記述の扱いは不明である。戦後公刊された明治天皇紀では当該記述が残されている。
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