昭和天皇への進講とは? わかりやすく解説

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昭和天皇への進講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 21:03 UTC 版)

南方熊楠」の記事における「昭和天皇への進講」の解説

1929年昭和4年6月1日昭和天皇神島迎え、「長門艦上進講天皇の前で学問講義をすること)を行なった昭和天皇皇太子時代から一貫して生物学強い関心持ちとりわけ興味示したのが、海産生物ヒドロ虫粘菌変形菌)の分類学的研究であった。 熊粘菌学の一番弟子であった小畔四郎昭和天皇博物学等の担当者服部広太郎の甥の上司という関係で、服部から生物学講義のための粘菌標本見たいとの依頼受けた1926年2月、小畔から熊手紙で、この機会粘菌標本を40-50種類献上してはと相談した。これに対し、熊3790点を、目録・表啓文・二種の粘菌図譜とともに11月10日進献した。この90点は日本粘菌研究する上で基本となる種を網羅する目的選ばれた。 1929年3月5日服部広太郎が熊邸を来訪し仮定の形で進講打診4月25日進講決定知らせ服部広太郎の手紙が届く。 1929年6月1日午前8時、御召艦長門が田辺湾に姿を現す。熊正午過ぎ田辺から漁船乗り新庄村尊重たちと神島近海待っていた。天皇5時30分長門畠島から帰艦し、熊進講を受ける。 熊ウガ地衣グアレクタ・クバナ、海洞に棲息する蜘蛛、ナキオカヤドカリ、隠花植物標本帖、菌類図譜粘菌標本持参この内蜘蛛、ナキオカヤドカリ、粘菌標本献上した粘菌標本は110点にのぼり、先の進献漏れた普通種稀産種変種中心増補するのが目的だったと思われる入れた箱は大きなボール紙製のキャラメル箱に入れて献上した。これは開けやすいためといわれてるが、自ら持参するのに軽いものを選んだとも考えられる。 熊所持した標本国立科学博物館寄贈され今は筑波実験植物園にある。 一周年1930年6月1日行幸記念碑神島建立された。 1962年白浜訪れた昭和天皇田辺湾に浮かぶ神島見て思いを馳せ、熊との一期一会懐かしみ 「にけふる神島見て紀伊の国の生みし南方熊楠思ふ」 と詠んだ。その和歌刻まれ御製碑は、1965年設立され南方熊楠記念館前庭立っている。

※この「昭和天皇への進講」の解説は、「南方熊楠」の解説の一部です。
「昭和天皇への進講」を含む「南方熊楠」の記事については、「南方熊楠」の概要を参照ください。

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