陸軍大臣就任
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「アルブレヒト・フォン・ローン」の記事における「陸軍大臣就任」の解説
折しもボーニン陸相は、ヴィルヘルム王子の軍事官房であるエドヴィン・フォン・マントイフェル軍事内局局長と人事権をめぐって対立を深めていた。ヴィルヘルム王子はマントイフェルの進言で1859年7月に勅令を出し、そのなかで人事や軍令について、国王と軍団長の間に陸軍大臣が介在することを拒否し、軍の人事権はあくまで国王(実質的にはその軍事官房たる軍事内局局長)にあることを確認した。これにより陸軍大臣は軍事予算に関する副署機能を残すのみとなった。 孤立無援となったボーニンは1859年11月28日に陸相を辞任した。その後任に選ばれたのがローンであった。陸軍大臣就任とともに中将に昇進している。 ローンは「新時代」内閣を牽制するために軍が内閣に打ち込んだ楔であり、閣僚たちの中では異質な存在だった。 なお1861年にはプロイセン海軍省が新設されたのに伴い、陸軍大臣(ローン)が海軍大臣を兼務している(1871年にプロイセン海軍がドイツ帝国海軍に改組されるまで在職する)。
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