陸軍大臣在任時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 23:47 UTC 版)
第一次世界大戦でドイツ帝国が敗戦した際、大島は第2次大隈内閣から留任した陸軍大臣として、板東俘虜収容所(徳島県鳴門市大麻町桧、旧板野郡板東町)、松山俘虜収容所などを開設し、青島膠州湾租借地のドイツ兵を収容した。板東俘虜収容所ではルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番が、俘虜のパウル・エンゲルやヘルマン・ハンゼンらにより、日本で初めて全曲演奏された。 ただし1918年1月8日から検討が開始されたパリ講和会議とヴェルサイユ条約締結手続のなかで、日本政府は膠州湾海底ケーブル所有権を含めドイツ帝国の山東権益の無条件譲渡を主張して山東問題に直面し、中国及びアメリカ合衆国からの非難を浴びた。内閣はシベリア出兵付随の米騒動や、河内事故などの影響で9月29日に内閣総辞職し、大島は予備役編入となった。
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