陸軍女性補助員たちの制服
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「軍服 (ドイツ国防軍陸軍)」の記事における「陸軍女性補助員たちの制服」の解説
ドイツ国防軍に女性は入隊できず、開戦当初女性は軍務にノータッチだった。しかし大戦中期以降には後方勤務の男性を出来る限り前線に送るため陸軍・海軍・空軍・SS・警察いずれでも女性補助隊 (Helferinnen) が導入された。女性補助員は戦闘には参加せず後方任務のみを行うと定められていた。1940年10月に通信女性補助隊が結成され、それを皮切りに後方任務を行う女性補助隊が続々と結成された。 陸軍の女性補助員には、グレーのウール製背広とスカート、グレーもしくは白のブラウスと黒いネクタイが支給された。背広の前ボタンは一列2個のダブルボタンになっている。内袋式の胸ポケットが付いており、右胸ポケットのふたには鷲章が入っていた。1944年には材料不足により背広が簡略化された。背広の前ボタンがシングルになり、またポケットは胸ポケットから腰ポケットになり、ポケットのふたに付いていたボタンがなくなった。 背広の左袖の部分には袖章を付けた。所属する女性補助隊の名称と階級を示すためである。この袖章は1944年11月29日に三軍すべての女性補助隊が国防軍女性補助隊に改組され彼女たちの階級が細かく制定されたのを機に大きく変更された。それ以外に通信女性補助員の場合は黒ネクタイや左上腕部に通信隊を示すブリッツ(雷光)章を入れた。このブリッツ章のために彼女らは「ブリッツメートヒェン(Blitzmädchen, カミナリ嬢)」と呼ばれていたという。 帽子は略帽に似た物を支給されたが、男性軍人達が着用する略帽は円形章が付いているのに対して、女性補助員の略帽にはこれが付かず、鷲章だけが付いていた。指導員階級の女性補助員は帽子に銀コードのパイピングを付けていた。 防寒着としてグレーのオーバーコートも支給されていた。オーバーコートは一列4個のダブルボタンになっており、ボタンなしのふた付き腰ポケットが左右に付いている。背部は男性軍人のオーバーコートと同様に裾から腰までにかけて切り込みが入っており、長方形の調整バックル付きのハーフベルトが付いていた。 作業用スモックも支給された。上記の制服は外出着として着用し、日常勤務にはこのスモックを着ることが多かったようである。スモックは6個の前ボタンで、右胸に鷲章が入っている。ポケットは付いていない物が多かったという。襟に取り外し式の白い襟ライナーを付ける者もいたようである。 また彼女たちには革製ハンドバッグが支給されていた。占領地で勤務にあたる女性補助員には派手な格好やアクセサリーは禁止されており、最低限のメイクのみが許された。 ドイツ軍占領下パリで勤務する通信女性補助員たち(1940年) 通信女性補助員たち(1944年) 国防軍女性補助隊の制服。1944年改訂版の制服を着ている(2008年ワルシャワ蜂起再現イベント) 女性補助員のオーバーコート(2015年ブリーレ(オランダ語版)解放祭)
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