戦争と自殺とは? わかりやすく解説

戦争と自殺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:52 UTC 版)

自殺」の記事における「戦争と自殺」の解説

中国 中国では、紀元前1100年ごろ殷王朝最後の帝である帝辛紂王)が周の武王敗れ焼身自殺したと伝えられている。古代中国軍人においては自刎(ミズカラクビハネル)」と称される刀剣などの刃物をもって頸動脈切断する自殺手法があり、伍子胥項羽白起など名だたる軍人用いており、現代でも中国人自殺用いられることがあるエジプト エジプトプトレマイオス朝最後女王であるクレオパトラ7世アクティウムの海戦敗北した際に、オクタウィアヌス屈することを拒みコブラ自分の体を咬(か)ませて自殺した伝えられている。 インド 略奪奴隷化レイプを防ぐために、女性集団焼身自殺するジョウハルという風習があるほか、勝ち目無くなった敗残兵が死兵となり、saka呼ばれる自殺突撃する風習もある。 インドネシア インドネシアではププタンよばれる集団自決風習があり、19世紀オランダバリ島侵攻した際に、いくつかの王国実施された。 日本 平安、鎌倉戦国時代に至るまで、日本武士には敵に討ち取られるよりは自害することをよしとする風潮があった。『平家物語』登場人物には自殺で終わる者が多い。これらには、自らが討ち取られその武名誰かによって落とされること、ことに格下の兵に功名の手とされることを恥としたからである。江戸時代中期武士道著書葉隠』では「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という一文がある。 第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて軍国化した日本では、「生きて虜囚の辱めを受けず」の一文有名な戦陣訓象徴される軍人捕虜になることより潔い自決を名誉と考えられた。そのため、太平洋戦争では、前線指揮官無断撤退責任を取るために自決強いられることもあった。自決であれば軍人軍属場合戦死扱いになり、不名誉でないとされた。名誉の自決をした軍人新聞報道ラジオ放送ニュース映画大本営発表通し市民の目や耳に入り立派な最期を遂げた尊敬すべき偉人とされ賞賛された。また、陸海軍問わず日本軍航空部隊は、操縦者機体被弾し帰還不可となった場合は「敵機・敵施設敵地上軍・敵艦突入し自爆」「背面宙返り地上海上自爆」が常態であった日本戦線後退する1943年以降は、撤退できない孤立した部隊が自らの戦い終わらせるため、しばしば「バンザイ突撃」と米兵名付けたような決死的な肉弾攻撃実行した神風特別攻撃隊対戦車肉弾攻撃のように作戦そのものが未帰還自爆前提としていたものもあり、これらを米軍は「自殺攻撃(Suicide Attack)」と名付けたまた、激戦地となった沖縄県や、満洲などの外地では、軍人のみならず多く市民集団自決追い込まれた。 敗戦時や大戦最末期には、軍の上層部の人間から、この責任を取るため自決選んだ人間多く出た。他の敗戦国比較し日本軍自決者はあまりに多かったため、正確な集計はできていないが、日本戦友連盟全国戦争犠牲者援護会などの関係団体集計した結果は最低でも527人に上るという。最高位自決者は陸軍大臣阿南惟幾陸軍大将陸軍大臣であり、陸軍大臣就任前の陸軍航空総監部兼航空本部長のときから「俺も最後に特攻隊員として敵艦突入する覚悟だ」「富士山目標として来攻する敵機群の横っ腹向かって自ら最後に突入する」と周囲公言もしており、終戦決定すると「一死以て大罪謝し奉る 昭和二十年八月十四日陸軍大臣 阿南惟幾 花押 神州不滅確信しつつ」との遺書を遺して、日本陸軍の罪を一身背負って自決した。他にも多く自決者がいたが、特に特攻関連自決者が相次ぎ神風特別攻撃隊創設者大西瀧治郎中将玉音放送翌日8月16日に「特攻隊英霊に曰す」という遺書を遺して自決し菊水作戦最高指揮官であった第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将も、玉音放送終了後8月15日夕刻、大分から「彗星四三型11機で沖縄近海アメリカ海軍艦隊突入図って戦死した。他にも陸軍航空本部長寺本熊市中将が「天皇陛下多く戦死者お詫び割腹自決す」と遺書残して自決、他にも航空総軍兵器本部小林大佐練習機白菊特攻隊指揮官高知海軍航空隊司令加藤秀大佐など58名の将官級を含む航空隊関係者自決がした。なかでも第4航空軍参謀長として、フィリピン特攻指揮した隈部正美少将は、フィリピン戦後に更迭され陸軍航空審査部総務部長という閑職にあったが、8月15日夜に母親、妻、19才17才2人の娘と最後夕食囲んだ後、家族5人で多摩川川べりに赴き、隈部が自分拳銃全員射殺した後、自分もその拳銃自決した特攻作戦への責任と、軍司令官富永恭次中将補佐をできなかったことへの悔恨に基づく自決とされる前海次官終戦時軍事審議官だった井上成美大将は、あまりに多く将官・高級士官自殺したため責任地位にある者が自殺するのは、当人自己の生涯は飾れ満足かも知れないが、これが自殺流行風潮となり、誰も今後のことを顧みなくなるのは国家大きな損失である」と憂いている。開戦時総理大臣であった東條英機は、連合国軍最高司令官総司令部GHQ)からA級戦犯容疑者として逮捕される直前に、拳銃を胸に撃ち込んで自殺はかったが(東條英機自殺未遂事件)、知らせ受けたアメリカ軍軍医が、医療用具医療技官満載した5台のものジープ駆けつけ救命治療行い東條九死に一生得ている。 フランスモーリス・パンゲは、日本武士道などにみられる自死を名誉とする考えについて『自死の日本史』(筑摩書房)において論じた評論家西部邁はこのパンゲの本について、「生きることには、何かしら裏切り堕落汚辱とかそういう本来拒否すべきものが濃厚に伴う。それが限界までくると、神にも仏にも頼らずに、自分の命を抹殺してしまうことで、汚いと自分思っていることをしないですむ」「形而上学、この場合宗教頼らず自分生に伴う虚無感価値あるものは何もありはしないという虚無感吹き払うために、死んでみせることを選び選んだことを一つ文化仕立てたのは、世界広しといえども世界史長しといえども日本人だけである。そういう日本礼賛のである」と説明したアメリカ アメリカでは、第二次世界大戦で、重巡洋艦インディアナポリス艦長チャールズ・B・マクベイ3世が、日本伊58潜水艦インディアナポリス撃沈された責任追及され自殺追い込まれている。 また、47海軍長官ジェームズ・フォレスタルは、第二次世界大戦の後設立されアメリカ空軍と、空母運用めぐって激化した対立により、神経衰弱して辞職追い込まれ最終的に自殺している。 アフガニスタン紛争イラク戦争始め海外戦争派兵されたアメリカ軍兵士中には自殺する者が出ている。アフガニスタンイラクからの帰還兵だけでも自殺者数千人にも上り、その数は戦闘中死者数上回るとの見方がある。 ドイツ アドルフ・ヒトラー暗殺一つ7月20日事件では、失敗したクーデター側は、ヘニング・フォン・トレスコウ少将ギュンター・フォン・クルーゲ元帥ルートヴィヒ・ベック上級大将など、クーデター加担した多くの者が自殺遂げている。また、実際に関与したかは未だに不明だが、エルヴィン・ロンメル元帥は、関与疑われ結果、「反逆罪裁判を受けるか名誉を守って自殺するか」の選択迫られ自殺選んでいる。 第二次世界大戦におけるドイツの降伏は、アドルフ・ヒトラー自殺きっかけとなっている。同時期にヴィルヘルム・ブルクドルフハンス・クレープスヨーゼフ・ゲッベルスなどが自殺している。 ヴァルター・モーデル連合軍包囲された時、「ドイツ元帥降伏しないものだ」と降伏潔しとせず、自殺している。

※この「戦争と自殺」の解説は、「自殺」の解説の一部です。
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