航空総軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 03:17 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動航空総軍 | |
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創設 | 1945年(昭和20年)3月 |
廃止 | 1945年(昭和20年) |
所属政体 | ![]() |
所属組織 | ![]() |
部隊編制単位 | 総軍 |
所在地 | 日本本土 |
通称号/略称 | 帥 |
最終位置 | 東京都 |
主な戦歴 | 第二次世界大戦 |
航空総軍(こうくうそうぐん)は、大日本帝国陸軍の総軍の一つ。
沿革
帝国陸軍は1945年1月20日に策定された帝国陸海軍作戦計画大綱に基づき本土決戦の準備を進め、同年4月8日に作戦準備を促進させる為に第1総軍、第2総軍及び航空総軍を設置した。
作戦名は『決号作戦』とされ、航空総軍はそれまで複雑であった陸軍航空部隊の統一指揮を目的とし、合わせて陸軍航空総監部が行っていた教育業務も引継ぎ、同総監部は廃止された。
作戦地域は北東方面を除く内地と朝鮮で、特攻を主とした航空決戦を準備していた。その準備の1つとして特攻用に秘匿飛行場を全国で整備しており、戦時中に飛行場を造っていたという体験談が各地に残されている。しかし、結局作戦実行前に終戦となり消滅した。
ただし、航空総軍の作戦思想は現代の航空総隊(航空自衛隊の防空指揮部門)の組織形態や作戦に影響を与えている。
概要
司令官
代 | 氏名 | 在任期間 | 出身校・期 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 河辺正三 | 1945.4.7 - 終戦 |
参謀長
- 田副登:1945年4月6日~終戦
参謀副長
高級参謀
- 宮子実:1945年4月6日~終戦
情報主任参謀
- 小森田親玄:1945年4月6日~終戦
後方主任参謀
- 松前未曾雄:1945年4月6日~終戦
隷下部隊
- 第51航空師団
- 第52航空師団
- 第53航空師団
- 第20戦闘飛行集団
- 第30戦闘飛行集団:三好康之少将
- 第12飛行団
- 第16飛行団
- 第1航空軍
- 第2航空軍
- 独立第15飛行団
- 独立第101教育飛行団
- 第5航空軍
- 第1飛行団
- 第2飛行団
- 第8飛行団
- 独立第105教育飛行団
- 第5航空通信団
- 第6航空軍
- 第12飛行師団
- 第27飛行団
- 第1航空通信団
- 内地鉄道隊
- 船舶司令部
関連項目
外部リンク
- 旧陸軍六郷飛行場(美郷町立美郷中学校ホームページ) - 秘匿飛行場増設に関する航空総軍命令を紹介。
航空総軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 07:28 UTC 版)
さらに大戦末期の1945年(昭和20年)4月には、主に日本本土防空を任務とする全陸軍飛行部隊を統轄する総軍として、官衙である陸軍航空総監部を改編した天皇直隷の航空総軍(FSA)が編成された。長は司令官(航空総軍司令官)で大将が補職し、司令部を置き参謀長・参謀副長・高級参謀・参謀数名・兵器部長・経理部長・軍医部長・法務部長を筆頭に、部員や司令部附約700人近い人員を擁した。 航空総軍(FSA) - 北東方面を除く日本本土、朝鮮
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