ご‐ししょ【伍子胥】
伍子胥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 07:59 UTC 版)
伍 子胥(ご ししょ、? - 紀元前484年)は、春秋時代の呉の政治家・軍人。諱は員(うん)。子胥は字。
- ^ 物事を行うに当たって、正しい道理に逆らった手段・方法を採ること。転じて、時代の風潮に逆らうよくない行いにも用いる。三省堂 新明解四字熟語辞典[1]
- ^ 闔閭には早世した長男の太子がいた(『史記索隠』が引く『竹書紀年』では「太子波」、『春秋左氏伝』では「太子終纍」)。他に三男の公子子山がいた(『春秋左氏伝』)。
- ^ 『春秋左氏伝』の魯の昭公20年(紀元前522年)にある「楚・伍氏」の系譜によると、子の名は「伍豊」。また、曾祖父の名が「伍参」、祖父の伍挙の別名が「伍椒挙」、叔父の名が「伍椒鳴」と記されている。
- ^ 『史記』越王勾践世家より。『春秋左氏伝』によると夫差は伍子胥のことは触れずに「私は年を取って、あなた(勾践)に奉仕することはできない」と述べて縊死した。
- ^ 呉の都であった姑蘇は現在の蘇州市であり、伍子胥に因んだ地名が多い。また、2006年には伍子胥の墓があったとされる蘇州市呉中区胥口鎮に、地元企業(日系も含む)も協賛して胥王廟が建設されているなど、地元での人気は今でも根強い。
- ^ 竹内康造『中国の復讐者たちーともに天を載かず』大修館書店、2009年。
- ^ “端午の節句”. (2016年8月6日) 2016年5月17日閲覧。
- ^ “端午節について知らねばならぬこと 端午節の由来”. (2016年8月6日) 2016年5月17日閲覧。
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