欒書とは? わかりやすく解説

欒書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:41 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

欒 書(らん しょ、? - 紀元前573年)は、中国春秋戦国時代政治家欒武子と呼ばれる。欒枝の孫、欒盾の子。晋の厲公を弑した。

紀元前597年、欒書は晋公室から分かれた名門・欒家の当主として邲の戦いにも参加したが、この戦いで晋軍は荘王率いる軍に大敗北を喫し、欒書が佐将を務める下軍も善戦した末に全滅した。

この戦いの結果、覇権は晋から遠ざかるが、晋は景公のもとで力を蓄え、鞍の戦いでを破るなどして少しずつ力を取り戻していった。紀元前575年、景公の死後、厲公の代になると、かつて邲の戦いで敗れた楚との間に鄢陵の戦いが勃発した。この頃には欒書も古参の老臣となっており、中軍の将(元帥)として参戦し、見事に楚軍を打ち破った。しかし、この勝利に奢った厲公は驕慢になり、当時の晋の朝廷で最大の勢力を持っていた郤氏を族滅した。紀元前573年、身の危険を感じた欒書は大臣の荀偃(中行偃)と謀って厲公を弑し、周より晋襄公の曾孫の公孫周を迎えて即位させ、悼公とした。その直後に欒書は正卿の座を次卿の韓厥に譲り、政界から引退する。

同じ年に欒書は死去し、家督は嫡子の欒黶が相続するが、悼公のもとで晋は覇権を確固たるものとした。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「欒書」の関連用語

欒書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



欒書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの欒書 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS