公室の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 09:06 UTC 版)
晋は文公重耳の治世において大きく発展し、城濮の戦いで楚を破り覇者となっていたが、邲の戦いで楚に敗れたことで内紛が起こり、晋への公室支族の影響力が低下した。その結果、臣下にあたる大夫らの影響力が増した。 そこで厲公は有力大夫でない胥氏を重用し、鄢陵の戦いで楚から覇権を取り戻し、讒言により伯宗を殺させて専横を極め他国から賄賂を受け取っていた郤氏を殲滅したが、それに脅威を抱いた欒書や中行偃により暗殺された。その後、悼公が擁立され、大夫の権力は一層増した。 更に晋公室系の祁氏・羊舌氏・欒氏・先氏などが滅び、韓起の死後に政権を握った魏舒がこれを分割、范氏・智氏・中行氏・趙氏・魏氏・韓氏ら有力大夫(晋の六卿)がそれぞれ県大夫の任について領有し、六卿の地位を世襲したことで、六卿の権力は更に強まった。
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