曲沃就封
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/06 14:35 UTC 版)
そして紀元前746年に文侯が没し、息子の昭侯が即位すると、晋の大夫達は昭侯を動かし、翌紀元前745年、成師は晋の首都翼よりも大きい食邑の曲沃を下賜され、彼が曲沃へ移ると同時に、彼を慕う多くの大夫や国民達も曲沃へ移住した。 その後成師は、翼宗家より送り込まれた公族の欒賓(靖侯の孫、欒枝の祖父、欒書の先祖)を曲沃の正卿や孫の称(後の武公)の傅に任じるという大胆な人事を行い、その声望を更に高めていった。
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