正卿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 07:26 UTC 版)
狐偃が死ぬと先軫は正卿(宰相)に抜擢され、国政を担った。文公の死後、襄公が即位すると隣国・秦の穆公が晋に攻め入ってきたのでこれを迎撃し、三人の将軍を捕虜とした。しかし、襄公は母の諫言に従って三将軍を逃がしてしまったので、先軫は大いに怒り、襄公を面と向かって罵倒した。襄公は先軫の言い分の正しさを認めて罰しなかったが、先軫は内心これを悔やみ、狄との戦いで晋軍が劣勢に追い込まれたとき、冑を脱いで敵陣に突撃して戦死した。
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