曲渕薬師とは? わかりやすく解説

曲渕薬師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 08:34 UTC 版)

岡本保真」の記事における「曲渕薬師」の解説

真については、次のような伝承がある。文禄4年1595年)頃、保真は眼病患っており、医師見せても直らなかったという。しかし、祖父である正親居城であった泉城のそばに流れていた内川にあった曲渕(まがりふち)という深い渕に、ある夜、保真の夢枕老僧現れ、保真が信仰していた薬師如来出現するとのお告げがあり、曲渕仏像を見つけ、薬師堂立てて毎日信心したら、眼病治ったという。この薬師堂は、太平洋戦争の頃まで残っていたが、老朽化により現在は壊されているが、保真は、のちに自身開基となり、曲渕瑞雲院という寺を曲渕のそばに建立し、曲渕薬師は、この寺に現在も安置されている。 なお、この瑞雲院創建については、一説にはこの文禄4年1595年)とされているが、これはありえない瑞雲院開山は、岡本家菩提寺である鏡山寺の二代目住職である照嶺呑鏡だが、鏡山寺の開山慶長2年1597年)だが、瑞雲院は、その鏡山寺の末寺として開山しており、これは時系列的に矛盾する矢板市でも、年表文禄4年の項に「瑞雲院建つというも曲渕薬師堂建立か」と記しており、薬師堂建立瑞雲院創建混同されていることを示唆している。 瑞雲院建立は、鏡山寺が建立され慶長2年1597年以降開山の照嶺呑鏡が没した慶長9年1604年3月27日以前事と考えられているが、当寺は、保真が継いだ塩谷家の菩提寺として、元は父義通の隠居屋敷のあった場所に建立されているため、父義通が没した慶長3年1598年11月1日一周忌前後の頃が最も有力とされている。

※この「曲渕薬師」の解説は、「岡本保真」の解説の一部です。
「曲渕薬師」を含む「岡本保真」の記事については、「岡本保真」の概要を参照ください。

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