真(真理)について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:35 UTC 版)
宇宙観について、ムスハフの神の啓示では、現代的な宇宙観に通用する超越的な宇宙観から、平らな大地とその上をまわる天動説の宇宙観までの、幅のある見解が、真正なる神の直言の真理として啓示されている。 また、神の存在について、ムスハフでは、二種類の姿が啓示されている。一つには、神は、「超越的・遍在的な人格神」としての姿であるとしている。これは、現代の宇宙論にも通用する姿であるといえる。もう一つは、神は、人間の上空にあって、全ての存在を支配している「高み座に座している人格神」であるとしている。そのどちらも、ムスハフでは、慈悲の神の姿として啓示されている。 初期の啓示では、神が天地の(ひいては宇宙の)創造主であることを顕していて(8章17-20)、かつ内在的(遍在的)でもあることが啓示されている。 「創造主」という語が遍在性を有することとは異なり、「支配者」という語は、遍在性に欠けているといえる。「支配者」を象徴するものは、「高み座」という、勝ち負けに関わる相対的な玉座の位置を確保する、ということのようだ。ムスハフの21章21節には、「玉座の主、アッラーは高みにいます」、とされている。また、20章5節について、アッラーは全存在を支配しているのになぜここでは高み座と限定されているのか、ということに疑問を持つ見解もある。 「高み座」の存在と関係あると思われる啓示に、53章5節の句がある。「彼にそれを教えたのは、恐るべき力の持ち主」、と啓示されている。「座して全存在を支配している」と主張している「恐るべき力の持ち主」については、イザヤ書にもその存在のことが書かれている。 宇宙観について 初期の啓示では、神の創造により万物がつくられ、眼前の自然の営みの中に神の力が見られるとされている。めぐりゆく自然の姿も神の創造の力であるとされている 。また、地球環境を整え、人間が生活できるように保っているのは神の慈悲心のあらわれであるとされている。 メディナ期では、神は、天動説の天地しか創っていないことになっている。大空をもって、がっしりと止まった屋根とし、その中を太陽が回っている。大地はたいらであり、それが揺れないように山塊を据えてある、としている。大地は平らであり、その上を太陽や月が交互に泳いでいるとされる。上部に貼りつけてある光る星の上に神の世界があるとしている。その上空にある支配者の御座から、神は、「お前たちに信仰してもらわずとも、お前たちに用はない」(39章9節)、という立場から、信者に対して慈悲を施しているようだ。
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