譲状と熊谷氏の系譜との矛盾とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 譲状と熊谷氏の系譜との矛盾の意味・解説 

譲状と熊谷氏の系譜との矛盾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 09:46 UTC 版)

熊谷家真」の記事における「譲状と熊谷氏の系譜との矛盾」の解説

譲状直実直筆による正本結論付けられたことで、直実嫡男熊谷直家同意得て本拠地である武蔵国大里郡熊谷郷の所領四郎真に譲ったことが明らかになったが、鎌倉時代後期には熊谷郷は直家の子孫とされている安芸熊谷氏継承されており、熊谷直満時代同地年貢を巡る訴訟当事者になっていることが『熊谷家文書』の他の文書から確認できる安芸熊谷氏現存する系譜では直実 - 直家 - 直国 - 直時 - 直高 - 直満と継承されたとされている。錦織勤は譲状直実自筆ではないとしつつも熊谷郷の状況伝える他の文書との矛盾がないことから内容偽作したとまでは言えいとする立場錦織論文論文以前発表)から、直家から直国への継承証明する文書存在しないのに、家真の子孫継承されるべき文書残っていることを指摘し、直国は直家の子ではなく真のであったとする説を唱えた啓太は直国を家真の子とする錦織の説を支持すると共に直満の時代年貢を巡る訴訟対立相手方熊谷氏一族)から近江熊谷氏熊谷直忠が熊谷氏惣領であると述べている事実注目し熊谷直実嫡男である直家の子孫、すなわち熊谷氏惣領家近江熊谷氏であるとする説を唱えた高橋修近江熊谷氏熊谷景貞承久の乱朝廷についた直家の嫡男であると伝え熊谷氏系譜があることに注目し承久の乱結果として朝廷についた家の子孫は廃嫡されて近江熊谷氏となり、幕府側について戦死した直国の子孫が新たに取り立てられたとする説を唱え、更に後世になって系図書き換えが行われたとしている(熊谷氏系図については、中世後期系譜にも問題がありそちらの書換指摘する見解もある)。なお、家真もしくはその子孫夭折によって熊谷郷が惣領家返されたと考えれば、直国を直家の子とする現存系譜でも説明が可能とする見方もあるが、それについては安芸熊谷氏が直家の子であれば直実から直家への譲状や直家から直国への譲状現存せずに直実から家真への譲状残されている説明が困難であるとの反論がある。 いずれにしても、家真について分かっている事績熊谷郷を直実から譲り受けたという点と﨑が指摘した『吾妻鏡』元暦4年12月7日条に登場する熊谷四郎」が家真とする推測以外、その没年詳細な経歴については全く不詳のままである

※この「譲状と熊谷氏の系譜との矛盾」の解説は、「熊谷家真」の解説の一部です。
「譲状と熊谷氏の系譜との矛盾」を含む「熊谷家真」の記事については、「熊谷家真」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「譲状と熊谷氏の系譜との矛盾」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「譲状と熊谷氏の系譜との矛盾」の関連用語

1
熊谷家真 百科事典
36% |||||

譲状と熊谷氏の系譜との矛盾のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



譲状と熊谷氏の系譜との矛盾のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの熊谷家真 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS