趙家再興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 10:12 UTC 版)
紀元前583年、大叔父の趙同・趙括兄弟が趙荘姫や欒書との対立が元で攻め滅ぼされる等、趙衰以来の家系は断絶に等しい状態にあった。しかし、病に倒れた景公を韓厥が説得したため、成人した趙武が景公に拝謁して、趙家再興を許された。 趙武は韓厥や欒書とともに屠岸賈を攻め殺した。復讐を成し遂げ、韓厥・欒書・智罃・士燮・荀庚(中行宣子)から祝辞を受けたが、直後に程嬰が「地下で趙荘子(趙朔)と公孫杵臼に報告したい」と自害すると号泣した。そして、彼のために3年間喪に服し、また、趙家の廟に彼を祀った。 以上の話は『史記』趙世家によるものであり、劉向『新序』節士篇と『説苑』復恩篇に見える話も『史記』とほぼ同じである。
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