趙家を再興させる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 14:26 UTC 版)
邲の敗戦後に、司寇の屠岸賈が、紀元前607年の霊公暗殺の責任は趙盾にあるとして、趙朔や趙一族の処罰を景公に求めた。これに対し韓厥は「趙宣子(趙盾)は無関係で、これは先君(成公)も認めている」と弁護したが、景公が既に屠岸賈の意見を容れている事を察知し、趙朔に亡命を働きかけた。だが趙朔は「あなたが趙家の祀りを守ってくれるのなら、何も恨みは無い」と拒否し、その趙朔の強い意志に心を打たれた韓厥は、必ず趙家を再興させる事を約束した。そして趙家の滅亡後、趙朔の死後に誕生した趙武を密かに庇護した。 紀元前583年、景公が病になった機をとらえ、韓厥は景公に趙家再興を働きかけた。成人になった趙武を景公に引見させ、共に屠岸賈を葬り去り、趙家再興を認めさせて、見事に趙朔との約束を果たした。その後韓厥は趙武に対し「常に自らを戒められよ、これを成人と言います。最初に善き人を友とすれば、その善き人は更なる善き人を連れてきます」の祝辞を与えた。
※この「趙家を再興させる」の解説は、「韓厥」の解説の一部です。
「趙家を再興させる」を含む「韓厥」の記事については、「韓厥」の概要を参照ください。
- 趙家を再興させるのページへのリンク