旧友と奇策とは? わかりやすく解説

旧友と奇策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 19:49 UTC 版)

伍子胥」の記事における「旧友と奇策」の解説

しかし、首都陥落直前楚王廃太子異母弟である昭王)は逃亡していた。放っておけば地方の兵などを使って再興しかねないため、徹底的に探させたが、なかなか見つからなかった。 紀元前505年その間に越王の允常が呉に攻め入ってきたため、兵の半分帰した。更に申包胥が秦の援軍取り付け形勢悪化闔閭に留まっていたが、将軍として従っていた闔閭弟の夫概が勝手に帰国し呉王を名乗ったため、から引き上げてこれを追い払った。 呉に戻った伍子胥は再び闔閭補佐努め、呉を天下に並ぶもの無き強国にまで押し上げた。次はへの侵攻中原進出していくことになるが、その前に隣国の越を攻めるよう進言した。越から見れば中原に出るには呉が邪魔であり、呉からも中原出れば越に背後突かれ恐れがあった。また、越は今のところ気にするまでもない小国だが、急速に国力増大させていることを見逃さず将来禍根となることを恐れたためである。闔閭はこれを聞き入れ、呉の富国強兵尽力した紀元前496年、越王允常の訃報聞いた闔閭は、伍子胥進言もあり、自ら兵を率いてこれを衝いて越を討伐した。しかし、允常の子で後を継いだ勾践家臣范蠡との知恵比べ負けて呉軍は越軍に大敗した。この時、闔閭も越の武将である霊姑孚が放った矢によって片足負傷し破傷風起こして容態悪くなり、床に伏せるうになる

※この「旧友と奇策」の解説は、「伍子胥」の解説の一部です。
「旧友と奇策」を含む「伍子胥」の記事については、「伍子胥」の概要を参照ください。

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