戦争と西側への接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 07:14 UTC 版)
「モハメド・シアド・バーレ」の記事における「戦争と西側への接近」の解説
1977年から1978年にかけてエチオピアで行われたオガデン戦争でソマリアは敗北する。また、シアド・バーレはこの戦争でエチオピア側に付いたソ連とキューバの軍事顧問団を追放して東側諸国と断交し、共産圏では中ソ対立からソ連と敵対していた中華人民共和国とソ連から距離を置いていたニコラエ・チャウシェスク政権のルーマニアのみ国交を維持した。また、アラブ連盟に加盟してエジプトやサウジアラビアなどのサファリ・クラブ(英語版)と呼ばれる親米アラブ・イスラム諸国とアメリカや旧宗主国のイタリアのような西側諸国からも軍事援助を受け、同時期に起きたルフトハンザ航空181便ハイジャック事件では西ドイツのGSG-9やイギリスのSASと連携してパレスチナ解放人民戦線(PFLP)の犯行グループを撃退した。 1980年には米軍にベルベラ港とベルベラ空軍基地の使用を許可、その見返りとして5300万ドルの経済援助と4000万ドルの軍事援助を取り付けるなど、権力維持のためなら何でも利用する無節操さを見せるようになる。
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